年越しそば

江戸時代

蕎麦の歴史は縄文時代から 江戸時代には将軍様への献上品にも並んだ

12月31日といえば、年越しそば。

その由来は「細く長く生きられますように」という説や、「そばは切れやすい=今年一年の厄が切れるように」など、さまざまなものがあります。

江戸時代という比較的近い時代に定着した風習の割に、あいまいすぎる感じもありますが、そもそも蕎麦の歴史自体に不明なところが多いので、なるべくしてなっているというかなんというか。

 

5世紀ごろには既に「そばがき」が庶民に人気だった!?

そばは、今のような細長い形状(そば切り)よりも、他の形状で古くから食べられてきました。

縄文時代には、そばの実をそのまま粥状にしたり、粉にした後水で溶いて焼いたりして食べていたそうです。

小麦や米に近い扱いだったんですね。

もともとは中国から朝鮮半島を経て伝来。

その実の特徴的なカタチと色から、色日本では【曾波牟岐(そばむぎ)】とか【久呂無木(くろむぎ)】と呼ばれました。

蕎麦の実

また、5世紀ごろには「そばがき」という料理が庶民の間で広まっていたことがわかっています。

そば粉で作る「すいとん」のようなものですね。

水で練って団子状にし、茹でて食べるという素朴な料理で、今でも愛好者がおります。

1500年近く愛されている料理、と考えるとスゴイですね。

「そばがき」とは、こんな感じの料理です

記録上では『続日本紀』の養老六年(722)が最も古いです。

元正天皇による詔に蕎麦栽培の記録があるのですが、公家や僧侶などの上流階級にとっては「それ、食べ物だったの!?」というような存在だったようです。

そばの生育には冷涼な気候が必要であり、都の周辺にはそういった場所があまりないため、そもそも“そば”を知らない人が多かったのかもしれません。

 

将軍への献上品にも蕎麦切りが並ぶように

時代がかなり下って、江戸時代半ば。

現在のような「蕎麦切り」が広まり、少し立ち位置が変わってきます。

蕎麦切りの発祥にも諸説ありますが、古いものでは戦国時代の1574年(天正2年)となります。

長野県木曽地域のお寺・定勝寺へ寄進された記録があり、少なくとも、江戸時代の初期にはあっちこっちの茶会で蕎麦切りが振る舞われるようになっているため、この間に普及したと思われます。

他にも現在の長野県塩尻市や、山梨県甲州市などに蕎麦切り発祥説がありながら、いずれもハッキリとはしていません。まぁ、料理の発祥ってそんなもんですよね。

江戸中期には料理のレシピ本に蕎麦切りの作り方が載るようになり、特に江戸で好まれました。

各地の大名から将軍への献上品にも、蕎麦切りが並ぶようになります。

信濃はもちろん、上野・下野・武蔵・出羽など、現在もそれぞれ名物としている地域の大名が主だったようです。

しかし、農村では「蕎麦切りを食べてはならない」とされている場所もたくさんありました。そばがきは子供でも作れますが、蕎麦切りを作るには熟練を要するためでしょうか。

また、当時農村で「そばがき」というと、雑穀や根菜を加えたり、鍋の具にするなど、都市圏のそばがきよりもおかずに近い存在だったといわれています。

そういった理由から「農村でそばと小麦しか入れない蕎麦切りを食べるのは贅沢」とされたのかもしれません。

 

天ぷらとの組み合わせは?

年越しそばには、天ぷらを合わせるのもメジャーですよね。

この二つの料理がいつ頃組み合わされるようになったのか?

これまたハッキリしていません。

天ぷらも蕎麦切りと似たような時期に普及し、江戸時代には、そばも天ぷらも「屋台でさっと食べられて、小腹を満たせる料理」として人気を博していたことは確実です。

たまたま誰かが「同じようなつゆをつけるんだから、合わせたらもっとうまいんじゃね!?」みたいなことを考えたのでしょうか。

あるいは「そばも天ぷらも食べたいけど、屋台をハシゴするのは面倒」とかかもしれません。

マグロだって「醤油に漬けてから酢飯と一緒に食べるとうまいぞ!」といった流れで好まれるようになったようですしね。

発酵食品なども含め、食の分野では「偶然」の生み出す力は計り知れないものがあります。

 

蕎麦湯は「江戸患い(脚気)」の防止になる?

ちなみに、もっとハッキリしないのが「そば湯を飲むようになった」習慣です。

かつてネットニュースでちょっとした話題になりましたが、他の麺類の茹で汁は飲まないのにそば湯だけ飲むのって、考えれば不思議ですよね。

江戸時代からそば湯を飲む習慣はあったようですが……。

そば湯には、そばに含まれていた水溶性ビタミンのビタミンB1などが流れ出ているので、健康に良いことは間違いありません。

ただ、そんなことは近年わかった話で、最初からそんな目的で飲み始めたとは考えにくいですよね。

ビタミンB1はアルコール分解の際にガンガン使われる栄養素のため「江戸時代に屋台でそばと酒を楽しんだ客が、水代わりにそばの茹で汁を出されて飲んでみたら、二日酔いにならなくなった」とかそんな感じでしょうか。

もしくは「江戸患い」と呼ばれていた病気の「脚気」を防げるから、という可能性もありそうです。

脚気はビタミンB1不足が原因ですから、そばを食べ、さらにそば湯を飲む習慣があれば、多少なりとも予防にはなったでしょう。

和宮などの貴人に脚気が多かったのも、そばが庶民の食べ物であり、上流階級ではあまり食されていなかったからなのかもしれません。

年始は親戚との集まりなどで深酒することも多いですし、年越しそばとそば湯で肝臓のコンディションを整えておくといいかもしれませんね。

ただし、そば湯にめんつゆなどの塩味をさらに追加してしまうと、それはそれで高血圧等の原因になりますので、お気をつけください。

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
そばの散歩道(→link
年越し蕎麦/Wikipedia
引越し蕎麦/Wikipedia
蕎麦/Wikipedia
蕎麦がき/Wikipedia

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