蕎麦の歴史

江戸時代

蕎麦の歴史は縄文時代から~江戸時代には将軍様への献上品にも並ぶ

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天ぷらとの組み合わせは?

年越しそばには、天ぷらを合わせるのもメジャーですよね。

この二つの料理がいつ頃組み合わされるようになったのか?

これまたハッキリしていません。

天ぷらも蕎麦切りと似たような時期に普及し、江戸時代には、そばも天ぷらも「屋台でさっと食べられて、小腹を満たせる料理」として人気を博していたことは確実です。

たまたま誰かが「同じようなつゆをつけるんだから、合わせたらもっとうまいんじゃね!?」みたいなことを考えたのでしょうか。

あるいは「そばも天ぷらも食べたいけど、屋台をハシゴするのは面倒」とかかもしれません。

マグロだって「醤油に漬けてから酢飯と一緒に食べるとうまいぞ!」といった流れで好まれるようになったようですしね。

発酵食品なども含め、食の分野では「偶然」の生み出す力は計り知れないものがあります。

 


蕎麦湯は「江戸患い(脚気)」の防止になる?

ちなみに、もっとハッキリしないのが「そば湯を飲むようになった」習慣です。

かつてネットニュースでちょっとした話題になりましたが、他の麺類の茹で汁は飲まないのにそば湯だけ飲むのって、考えれば不思議ですよね。

江戸時代からそば湯を飲む習慣はあったようですが……。

そば湯には、そばに含まれていた水溶性ビタミンのビタミンB1などが流れ出ているので、健康に良いことは間違いありません。

ただ、そんなことは近年わかった話で、最初からそんな目的で飲み始めたとは考えにくいですよね。

ビタミンB1はアルコール分解の際にガンガン使われる栄養素のため「江戸時代に屋台でそばと酒を楽しんだ客が、水代わりにそばの茹で汁を出されて飲んでみたら、二日酔いにならなくなった」とかそんな感じでしょうか。

もしくは「江戸患い」と呼ばれていた病気の「脚気」を防げるから、という可能性もありそうです。

脚気はビタミンB1不足が原因ですから、そばを食べ、さらにそば湯を飲む習慣があれば、多少なりとも予防にはなったでしょう。

和宮などの貴人に脚気が多かったのも、そばが庶民の食べ物であり、上流階級ではあまり食されていなかったからなのかもしれません。

年始は親戚との集まりなどで深酒することも多いですし、年越しそばとそば湯で肝臓のコンディションを整えておくといいかもしれませんね。

ただし、そば湯にめんつゆなどの塩味をさらに追加してしまうと、それはそれで高血圧等の原因になりますので、お気をつけください。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
そばの散歩道(→link
年越し蕎麦/Wikipedia
引越し蕎麦/Wikipedia
蕎麦/Wikipedia
蕎麦がき/Wikipedia

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