松賀族之助と小姓騒動

江戸時代

ゲス侍・松賀族之助と小姓騒動~妊婦の妻を献上して御家乗っ取り画策

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献上品の毒饅頭がバレバレで

義孝は有能とはいいきれないものの、何とか地道に藩主の務めを果たしました。

そして正徳二年(1712年)、兄に先立って亡くなり、次男の義稠(よししげ)が跡を継いだのですが……その義稠もまた1718年に21歳の若さで亡くなってしまうのです。

この歳ではまだ跡継ぎももうけておらず、磐城平藩は大ピンチ。家臣たちは、江戸で悠々自適に暮らしていた義英を頼りました。

幸い、義英の長男である政樹が健康だったため、政樹が義稠の跡を継いで藩主になります。

とはいえ、まだ14歳と幼く、今までまったく政治と関わっていなかったため、義英が後見することになりました。

そして翌年のお正月。

お祝いの品が続々と届く中に、奇妙な饅頭がありました。色といいニオイといい、どこからどう見てもアヤシイ。

義英は「もしや……」と思い、試しに饅頭を犬に食べさせます。

すると、犬はたちまち苦しんで死んでしまうではありませんか。ワンちゃん……(-人-)

その饅頭は、族之助と息子の松賀孝興から献上されたものでした。

「以前と同じように藩主に取り入って政治を牛耳ろうとしたものの、当時のことを知る義英がくっついてきたので、政樹を毒殺しようとした」

そういわれているのですが……異臭と色で気づかれるって、相当お粗末ですよね。他にも色々と方法があると思うんですが……。

 

磐城から延岡まで最長記録のお引越し

何はともあれ、二度も家を危機に陥れかけた松賀親子に対し、今度こそ義英もブチ切れました。

一族をひっ捕らえて詳しく調べると、息子の孝興が主犯だったということはわかったものの、罪状は変わりません。

それでいて、族之助も孝興も斬らずに終わらせたのは「武士の情け」ということなのでしょうか。他の共犯者も、斬首や磔ではなく切腹にしていますし。

こうして、中休み(?)を挟んで30年近くもの間、磐城平藩を揺るがした騒動は終わりました。

が、その後も、族之助の課した重税に苦しめられた領民が一揆を起こしているので、全てが丸く収まったわけではありません。

そのせいで、内藤家は磐城平藩(現・福島県)から延岡藩(現・宮崎県)へ転封(引っ越し)を申し付けられています。

ちなみに、これは江戸時代で最も長距離の転封だそうです。へぇへぇへぇ。

まぁ、引っ越し大名の移動総距離に比べたら、改易にならないだけマシかもしれませんが……「分不相応な野心で周りが大迷惑する」というのは本当にやってられませんね。

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長月 七紀・記

【参考】
中江克己『江戸大名の好奇心』(→amazon
内藤義概/wikipedia
磐城平藩/wikipedia

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