慶長5年(1600年)9月15日は、日本の戦国大名を東西真っ二つに切り裂いた【関ヶ原の戦い】が起きた日です。
東軍の総大将は徳川家康。
西軍は実質的に石田三成。
総勢20万を超えるともされる空前の規模の戦いであり、驚きだったのは決着スピードもそうでしょう。
これだけの大軍にもかかわらず、戦いはわずか半日で終了し、敗れた三成は伊吹山中へ落ち延び、数日後に捕らえられました。
と、惨めな最期を迎えてしまう西軍ですが、この戦いでは「三成のある病気が趨勢に影響したかもしれない」という要因があります。

石田三成/wikipediaより引用
今回のテーマは「三成腹(石田三成と下痢)」です。
三献茶エピソードから見ると気遣いの人
石田三成は永禄3年(1560年)の近江生まれ。
天正2年(1577年)頃から父・兄と共に羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え始めました。
奉公前の三成がまだ寺の小僧だった頃、当時、長浜城主である秀吉に3杯のお茶を出した逸話は戦国ファンには大変有名でしょう。
鷹狩りでノドが乾いていた秀吉が寺に立ち寄った際、最初はぬるいお茶、次にやや熱いお茶、そして最後に熱いお茶を出し、その細やかな心遣いを買われた――というものです。
後に加藤清正などと揉めることを考えると、このときの気遣いはドコいった?と言いたくなってしまいますし、そもそも三献の茶エピソードが事実ではない……というのはさておき。
秀吉の側近として頭角を現した三成は、その後【太閤検地】や【刀狩り】などの政策を立案実行。
文禄4年(1595年)には秀吉から近江佐和山19万4,000石を与えられ大名としても出世しております。
ただ、イメージとしては凄腕の官僚ってところでしょうか。
実際、五奉行の一人ですしね。
【豊臣政権の五奉行】
浅野長政
石田三成
長束正家
増田長盛
前田玄以
一方で戦場での槍働きがイマイチとされていて、脳筋バリバリな武将には嫌われており、特に朝鮮出兵では現場との意見が折り合わず、加藤清正らとの対立関係は非常に根深いものとなってしまいました。
日大早川先生の説では「過敏性腸症候群」が疑わしい
秀吉の死後、家康に睨みを利かせていた前田利家が亡くなると、三成は清正や福島正則などの武断派に襲われ、それを契機に五奉行引退へと追い込まれます。
しかし、慶長5年(1600年)7月に家康の会津征伐がはじまると、弾劾状を出して家康に戦線布告、かくして天下分け目【関ヶ原の戦い】が始まるのでした。じゃじゃじゃーん。

関ヶ原の戦いを描いた関ヶ原合戦屏風/wikipediaより引用
結果、毛利は動かず、小早川秀秋は裏切り、脇坂なんかの四武将も寝返って、西軍は一日で惨敗。
このときの敗因の一つに
「三成がお腹を壊していたから」
というコトも考えられる――というのが前述の通り本稿のテーマですね。
関ヶ原当時40歳の三成は、親友の大谷吉継と違い、特に持病があったような記録はございません。
ただ、合戦前日からお腹の調子は悪かったようで。
この場合、最も疑わしいのは食中毒ですが、あの三成が大事な合戦の前に当たりそうなものを食べるとは思えません。
普段いい加減な私ですら国家試験の数日前からは刺身などの生モノを避け、暴飲暴食をせずその日に備えました。
では、三成が下痢をした原因はなんでしょうか?
日本大学の早川智先生の説では「過敏性腸症候群」が疑わしいとのことです。
石田家では「三成腹」と呼んでいるとか
過敏性腸症候群とは主に大腸の運動機能と分泌障害でおこる病気です。
血液検査や腸の検査をしてもガンや炎症などの異常を認めないのに、お腹の調子が悪くなる病気で、症状としては下痢タイプ、便秘タイプ、そして下痢と便秘を繰り返すタイプがあります。
好発年齢(その病気にかかりやすい年齢)は20〜40歳。
ストレス社会の先進国に多く、原因としては腸を司る自律神経のバランスが崩れることにありそうで、生活習慣の乱れなども相まって複合的に作用するそうです。
ゆえに、元々神経質な人が暴飲暴食や過労、プレッシャーなどに晒されると、症状が出る場合が多くなります。
ほら、プレッシャーでお腹を壊す人がいるじゃないですか。
大事な試験やプレゼンの前にお腹がゴーロゴロ。
神経質でデリケートな性格で、しかも三成の場合は天下分け目のプレッシャーですから、これは医学的にもお腹を壊しておかしくない状況です。
かつてサバンナ高橋さんがテレビCMしていた「きた~~っ! 下痢ですぅ~~」って腹痛薬がありましたが、それを彷彿とさせますね。

ストッパ下痢止め(→amazon)
週刊誌の記事では、三成の子孫の方が「石田家の男子はお腹が弱いらしく、試験前日などにはよく下す」と話されていました。
石田家ではこれを「三成腹」と呼んでいるそうで……。
お腹の調子が悪かった三成は十分な指揮が取れず敗戦に至った(かもしれません)。
「柿は痰の毒だから要らない」
さて本当に下痢が原因かは別として敗戦の将となった三成を見てみましょう。
逃亡中の山中で捕らえられた三成は、大坂、堺を罪人として引き回された後、京都の六条河原で斬首とされました。この時にこんな逸話が残っておりまさす。
処刑の前に京都を引き回された三成は喉が渇き、お湯が飲みたいと言いました。
これに対し警護の侍は「水は無いが柿はある。これを食べなさい」と干し柿を差し出したところ、三成は「柿は痰の毒だから要らない( ー`дー´)」とキッパリ!
侍は「間も無く首を斬られる者が毒を避けて何になる」と笑いましたが、三成は「大志を持つ者は最後まで命を惜しむものだ」と悠然としていた――というこれまた戦国ファンには有名なお話ですね。
もし一発逆転で斬首を免れた場合、柿で体調を崩したら次の一手が打てなくなるからですね。
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戦国昔話『三成のかき』死の直前に差し出され【戦国浮世絵ANARCHY8】
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ここで、気になることがあります。
「柿が痰の毒」ってどういうことなんでしょうか。
柿のヘタを煎じて飲むとシャックリが止まる!?
皆さんお察しのとおり、柿自体に毒性はありません。
果実にはビタミンCやビタミンAを多く含み、食物繊維も豊富です。
薬として用いられることもあり、その効果は「肺を潤し咳を鎮める」そうです。高血圧に良いともされています。
それとですね、柿のヘタを煎じて飲むとシャックリが止まります。これ、現代医学の本にもバッチリ書いてあります。少なくとも痰に悪そうな印象はございません。
そこで浮上してくるのが、タンが痰でなく胆だったという解釈でして。
胆→腹部と考えますと、柿の食べ過ぎでタンニンが固まった「胃石」ができる場合がありますので、それがお腹に悪いと考えられなくもありません。
また前述の過敏性腸症候群は特定の食物で起こる人もあり「三成が柿でお腹を下す体質だった」との捉え方もあります。うん、これで行こう!
そうそう、関ヶ原のお土産でこの逸話が元になったお菓子があります。
名前はズバリ「石田三成 胆の毒ゼリー」。

石田三成 胆の毒ゼリー/戦国関ヶ原市場サイトより引用(→link)
これはなかなかセンスの高い包みで、貰ったらかなり嬉しいですねー。
中身は美味しい柿ゼリーの模様です。
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◆拙著『戦後国診察室2』を皆様、何卒よろしくお願いします!
【参考】
国史大辞典
石田三成/wikipedia
NEWSポストセブン(→link)
IBSネット(→link)
日本消化器病学会(→link)
MSD(→link)
漢方生薬辞典(→link)









