日本史に登場する方の中から、悪行に手を染めた人物を診断する本連載の「ワル査定」。
今回は真田信利さんです。
名前からお察しのように大河ドラマ『真田丸』で盛り上がる真田一族の御方。
沼田藩を継ぐ藩主でありますが、相続問題で色々あったため性格がねじれてしまい、結果、改易にされてしまうトホホな殿様であります。
まずは真田信利さんのお父ちゃんから確認して参りましょう。
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忠勝の娘が信之の新たな正室に
真田信利の父は真田信吉です。
大泉洋さんが大河で演じる真田信之――その長男になりますね。
しかし信之は、程なくして本多忠勝の娘・小松姫(稲)を正室として迎えます。
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結果、以前の正妻だった「おこう」は側室になってしまうわけですが、長男の信吉は彼女の子で、今回の主人公・真田信利は更にその子供でした。
つまり
真田信之(信利の祖父)
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真田信吉(信利の父)
│
真田信利(本人)
信利は、真田信之とおこう(前正妻)の孫にあたるんですね。
嫡流を奪われ、煮えくり返ったハラワタ
信利の父・信吉は、沼田領3万石(ただし松代の支藩)を拝領します。
言い方を変えれば真田の本拠地・松代藩は継げませんでした。
そして、40歳の若さで死亡してしまうと、さらにその息子・熊之助(信利の兄)も夭折。
残された信利はわずか3才ですから、さすがに藩主となるわけにもいかず、信之の次男・信政が沼田領を引き継ぎ、3万石のうち5000石が信利のものとなりました。
はは~ん。3万石が5000石に減らされてキレちゃったんだね!
いーえ、さにあらず。
祖父・信之が引退すると、信政は松代藩主となり、沼田領3万石は元の信利に戻されるのでありました。
大藩には遠く及びませんが、これでも立派な大名。怒る理由は見当たらないと感じるでしょう。
しかし、信利のハラワタは煮えくり返っておりました。
『もしも稲(小松姫)が来なければ、ワシが松代藩主だったのに!』
そして、ついに悪行へと走るのです。
幕府へ「松代藩の正統な後継者は自分だ!」
「おこう」が側室にされ、自身の家系が傍流へ落とされてしまったことに我慢がならなかった信利。
松代藩主となった信政が、それからわずか2年後(明暦4年・1658年)に死去すると、ついに激しい主張を始めます。
「真田家(松代藩)の正統な後継者は自分だ!」
幕府にそう訴え出たのですが、今さら受け入れられるワケもなく、次の松代藩主は信政の息子が就くことになりました。
まぁ、そりゃそうですわ。
信政の母・小松姫は、徳川四天王・本多忠勝の娘で、江戸から見れば十分すぎる出自です。
ただし、幕府もバカではありませんから、これ以上余計な争いは生まぬよう信利の顔を立て、沼田藩を松代藩から分離させ、独立の藩としました。
信利もこれで満足す……ることが出来ずに悪政をスタートさせてしまうんですから始末が悪い。
たとえば
・松代10万石に対抗すべく領内総検地を実行。表石高3万石だったのに、盛りに盛って実高14万4000石として幕府に報告した
言っちゃ悪いが馬鹿です。大馬鹿です。
石高が高いとノルマが増え、少なく報告することはあってもわざわざ高く言う必要はありません。
実際、後の検地で測ってみると実高は6万石だったそうです。
まさにメガ盛り!
さらには……。
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