佐竹義敦

佐竹義敦/wikipediaより引用

江戸時代

江戸時代とは思えぬ精緻なデッサン 佐竹義敦が確立した秋田蘭画とは

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『湖山風景図』

やがて、義敦自身も「曙山(しょざん)」という号を持つほどの腕前になりました。

彼の代表作品である『湖山風景図』は、日本画らしさと西洋画が混ざったようなリアリティを持ちます。

特に手前の松の木はもはや写真レベルではありませんか?

湖山風景図

湖山風景図/wikipediaより引用

義敦はかなり丁寧な人だったらしく、今日残っている写生帳もカラーで丁寧に描かれています。こちらも遠目で見ると写真かと思うくらいにリアルです。

文化遺産オンラインではサボテンの絵のページを見ることができるのですが、この時代にいったいどこでサボテンを見たんでしょうね。

蘭癖大名の誰かが持っていたのを見せてもらったのでしょうか。

 

『解体新書』の挿絵も

また、直武は源内を通じて杉田玄白と知り合い、『解体新書』の挿絵も描いていました。

「あんまり上手ではないけど、頼まれたので頑張って描きました」と自分で書いているあたり、謙虚な人だったのでしょう。

残念なことに、義篤も直武も若くして亡くなったため、技術を伝えることができなかったのか、秋田藩で蘭画を続ける人はその後出てきませんでした。

義敦の息子・佐竹義和(よしまさ)も絵心のある人だったようなのですけれども、蘭画はやらなかったのでしょうかね。義和の作品の画像が出てこなかったので判断しかねるところではありますが(´・ω・`)

佐竹家の菩提寺・天徳寺(秋田市)に義和の描いた聖観世音菩薩像があるようなので、毎年夏の寺宝公開で見られるかもしれません。

代わりに(?)同じく平賀源内の知己だった司馬江漢が日本画と西洋画の融合という方向性の作品を残しています。

司馬江漢の寒柳水禽図/Wikipediaより引用

秋田蘭画は現在、秋田県立近代美術館(秋田県横手市)、秋田市立千秋美術館などに収蔵されています。

つい先日まで直武の代表作『不忍池図』が展示されていたようです。

優れた作品ほど別の場所で展示・保管されていることが多い中、地元のものが地元で展示されているというのはいいですね。

特に秋田県立近代美術館のほうは、だいたい一ヶ月ごとに秋田蘭画の展示替えをしているようなので、スケジュールをチェックしてから出かけるのもいいかもしれません。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
佐竹曙山写生帖/文化遺産オンライン
絹本著色不忍池図〈小田野直武筆〉/文化遺産オンライン
佐竹義敦/Wikipedia
小田野直武/Wikipedia
秋田蘭画/Wikipedia

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