足高の制

足高の制に取り組んだ徳川吉宗/wikipediaより引用

江戸時代

給料UPだよ足高の制~吉宗の人材登用術は革新的だった!ハズなのに

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また、「武士は食わねど高楊枝」という狂歌がある通り、武士にとっては面子が何よりも大切なものでした。

収入が減ったとしても、身なりや生活は一定のレベルを保たなくてはならないという考えが当然なわけです。

となると「高い役職の者はより良い生活をしている(ように見せなくてはならない)」となりますよね。

この習慣が、身分の低い人を取り立てる上で非常に大きな障害になりました。

「身分が低い=収入が少ない」ですから、急にエラくなったとしても、体裁が保てないのです。

 

 

「(禄)“高”に“足”す」から足高の制

「どげんかせんといかん!」

この歪みをどうにかすべく吉宗は「家格と身分が吊り合わない場合は差額を出してやるから、身分の低い者も取り立てられたときは安心していいぞ」としました。

これが足高の制です。

「(禄)”高”に”足”す」制度なんですね。

実際、うまくいくんか?

と疑問に思われるかもしれませんが、足高の制により「大岡裁き」で有名な大岡忠相や、治水工事のため在野から抜擢された田中丘隅(きゅうぐ)という学者が才能を発揮しました。

大岡越前守忠相
大岡越前守忠相の大岡裁きは一件だけ?吉宗に抜擢された名奉行の実績

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しかし、才能があるからといってポンポン給料を上げていたら、幕府の出費がかさみまくりそうな気がしますよね?

そこも吉宗は見越しておりました。

「足高の制の対象になるのは本人だけ」と制限することによって、取り立てられた人の子や孫の代になっても高禄のままということを防ぐ……予定だったのです。

 

実際は加増分が子孫たちへ世襲されてしまう

一度前例ができるとなかなか変えたがらないのは今も昔も「お役所あるある」。

足高の制も「一度収入が良くなったのに、何でまた下げられてしまうん?(´・ω・`)」と思われ、当初の狙い通りにはいきませんでした。

加増された分が結局その子孫たちへ世襲されてしまうケースが多かったのです。まぁ、現代人だって一度上がった給料が下がるのはイヤですものね……。

実は江戸時代には、この手の「一度できた前例をめぐる争い」の話がちょくちょくあります。

大体の場合

【大胆な改革を行おうとした若い藩主or藩主に抜擢された人】
vs
【家老を中心とした守旧派】

という構図で、そういうゴタゴタがきっかけでお家騒動に至ったケースも少なくありません。

広い意味では、幕末のアレコレも似たようなものでしょうか。

ちなみに武士の生々しいお財布事情のわかる一冊が、ベストセラーにもなった磯田道史氏の『武士の家計簿』(→amazon)です。

エンタメとしても非常に面白い内容ですので、よろしければ一読どうぞ。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴史読本2014年12月号電子特別版「徳川15代 歴代将軍と幕閣」』(→amazon
歴史読本編集部『歴史読本2013年1月号電子特別版「徳川15代将軍職継承の謎」』(→amazon
足高の制/Wikipedia
享保の改革/Wikipedia

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