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【赤穂事件(赤穂浪士)】
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特定秘密情報だったからこそ盛り上がる想像力
この事件、年明けには『忠臣蔵』として歌舞伎の舞台にされました。
しかし、脚本家や役者、観衆のほとんどが詳しい経緯を知らなかったでしょう。
「お侍は偉い人」という概念しかないような時代ですし、幕府の内情がまるっと外部に伝わることなんてないでしょうから。
そして次々に創作エピソードが盛られていきながら、寛延元年(1748年)8月14日になると、代表的な人形浄瑠璃作品『仮名手本忠臣蔵』が初上演されます。
フィクションの『忠臣蔵』と史実の「赤穂事件」では何がどう違うのか
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数ある赤穂事件系の中でも集大成といえるのが、この『仮名手本忠臣蔵』でしょう。
というか、赤穂事件そのものよりも「忠臣蔵」ほうが有名ですよね。フィクションと史実がこんがらがっちゃってる方もおられるかもしれません。
江戸時代では、体制批判(幕府批判)につながるノンフィクションベースの作品は御法度でしたので、実際に上演されるときは【実名虚名いりまぜ】になっています。
代表的なところを挙げておきますと……。
さらに、吉良(高)が浅野(塩谷)の妻に横恋慕したりと、ドロドロのサイドストーリーを織り交ぜたことが、ウケにウケたのです。
しかし……。
ただのテロでは……?
現代の世相を反映してなのか。
今や忠臣蔵をご覧になられる方は激減しておりますよね。
最近では、
・刃傷沙汰を起こした原因の不明確さ
・公の判決に対して逆らったこと
・武家屋敷とはいえ無防備に近かった吉良邸を大勢で夜中に襲ったこと
などが注目され、敵討ちの感動ストーリーではなく、物騒な話だと思われることもあります。
もちろん当時と現代の価値観を比べても致し方ないのではありますが、
「ただのテロじゃね?」
「警護の者がいるとはいえ、老人相手に、何十人もよってたかって寝込み襲ったのか……」
という受け取り方になるんですね。
昔に比べてテレビなどで取り上げる頻度が少なくなっているのは、こうした世論の流れも多少影響しているのでしょう。
もうちょっと詳しく知りたい方には、書籍『殿様の通信簿 (新潮文庫)』(→amazon)をオススメします。
『武士の家計簿』でお馴染みの磯田道史先生が書かれたもので、非常に読みやすい文章は、歴史に苦手な方でも入りやすく、とても楽しめますよ。
もちろん「既に知ってる」という詳しい方でも、意外な発見があるかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
磯田道史『殿様の通信簿 (新潮文庫)』(→amazon)
赤穂事件/Wikipedia