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【享保の改革】
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・上米(あげまい)の制……幕府へ米を納め江戸滞在を半減
全国の諸大名は、基本的に幕府へ納税などしていません。
吉宗はそこに目をつけ、所領1万石ごとに100石を上納させることにします。
デカい順でいくと、加賀藩が1万石くらい、薩摩藩だと9,000石、仙台藩で6,000石、熊本藩で5,200石……という感じです。
1石=当時の大人一人が一年間に食べる米の量(だいたい150kg)なので、加賀藩は一万人×一年分の米を幕府に収めることになるわけですね。
なかなか大きな負担です。
しかし、米と引き換えに
「大名が参勤交代で江戸に滞在する期間を半年に縮める」
というメリットがついていました。
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江戸での生活は何かとお金がかかります。この滞在費用が、大名たちにとってバカにならない。
参勤交代には「あえて大名に負担を掛けることによって、反乱を防ぐ」という意味もありましただが、この頃になると度々起きる飢饉や天災で、どこの藩も家計は火の車。
ぶっちゃけ、反乱を起こすどころではなく、運営するだけで手一杯です。
結果「反乱の危険を弱めるために金を使わせる」という必要が薄れ、幕府の財政再建というメリットと合致し、【上米の制】が用いられた……というわけです。
・足高の制……「あしだか」じゃない「たしだか」
「あしだか」ではなく「たしだか」と読みます。
現代でいえば、住宅手当とか交通費を会社が出してくれる感じの制度。
なぜ、こんなものが必要だったか?というと、当時は、身分の低い人が登用された際、対面を保つのが大変だったからです。
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衣食住等にお金がかかり、そのやりくりに四苦八苦させられるのです。
それを防ぎ、安心して仕事をさせるために吉宗が作ったのがこの制度で
「登用された本人の代、かつその職についている間だけ、少し加増する」
という内容です。
当時は現代でいうところの「手当」とか「経費」という概念はほぼありませんから、考えとしてはかなり画期的だったといえます。
・元文の改鋳……米の値段を上げるため
金貨と銀貨に含まれる金銀の含有量をあえて減らし、通貨の流通量を増やそうとしました。
通貨の価値下落によって、相対的に米の値段を上げ、米の収入で暮らしていた武士の生活をラクにしようとしたんですね。
しかし、そもそも新田開発によって米の生産量が増え、それに応じて値段も下がった――そんな背景があったので、なかなかうまくいきません。
江戸幕府は、幕府や諸大名の成り立ちが石高(=米)になっていたので、もうどうしようもないんですが。
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