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【笠森お仙】
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庶民の夢も希望も奪う エリート若手官僚との結婚
ではもう一枚を見てみよう。
ズドン!
うーん。こちらは胸元が少し露わになっていて、今で言えば水着グラビアに近いイメージですかね。
悪女風にも描かれていて、モテない男たちのジェラシーも感じられる。
というのも、このお仙さん、突如姿をくらましたことから凄まじい俗説ゴシップが残されているのだ。
それがコレ。
『笠森お仙は、嫉妬に狂った茶屋のオッサンから逃亡し、後年、そのオッサンに見つかり、喉を噛みちぎられて死ぬ』
現実は、もちろん違う。
将軍直属ともいうべきエリート武士(若手官僚みたいなもん)と結婚し、武家に入ったため、結果的に姿をくらましたカタチとなり、悪い印象の噂が江戸中に流されたようだ。
いつの時代も、情けないですね、噂を流す女々しい男って。
そして、いつの時代もエリートやお金持ちはモテますね。もちろん人によるけど。
嗚呼、なんだか妙にせつない、この後味悪い気分、どうしてくれんのさ? 上野の団子屋にでも行って、ヨダレを垂れ流してくるしかないかなぁ。
笠森お仙はAKB48そのものだった
と、まぁコチラの原稿を公開したところ、友人からすぐさま「AKB48と笠森お仙なら、あの磯田道史さんが面白い原稿を書いてるよ」とのツッコミが入った。
以下は、友人による記事の要約だ。
磯田道史 古文書ジャーナル
江戸の「会いに行けるアイドル」
「会いに行けるアイドル」というキャッチフレーズは、歴史家にとってあまりにも江戸的に思える。
すでに、田沼意次の明和年間に存在したからだ。
たしかに平安・鎌倉時代にも静御前のように偶像化された踊り子はいたが、「素人っぽさ」はなく、お仙がはじめて。
彼女から2~3杯のお茶を入れてもらい、ちょっと言葉をかわして四十文(2千円)前後。なかには百文(5千円)のチップを渡す男もいた。
当時の美人像も鼻筋が通りウエストが細い女だが、小顔はダメ。
そして化粧をせず「地物の上品」であることがポイントであった。
絵や手ぬぐい、フィギュア。そしてAKBの総選挙と同じく「美人くらべ」も勃発。
その動きは(SKE48やHKT48、NMB48などでそうしてきたように)、江戸時代にも全国へ普及し、特に名古屋で盛り上がった。
そして最後は、笠森稲荷を運営してきた幕府御庭番の倉地家に、お仙は嫁いでいく。
まるで秋元康氏の奥様が「おニャン子クラブ」の元アイドルだったかのように。
ふむふむ。秋元康さんの元ネタ、実は江戸時代だったってことね。
結婚までトレースしていたとは!
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文・五十嵐利休
【参考】
安藤優一郎『観光都市 江戸の誕生 (新潮新書)』(→amazon)
稲垣史生『考証 江戸の面影一 Kindle版』(→amazon)