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【間部詮房】
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家継の生母・月光院とデキてる?
間部詮房は、元々が身分の低い人です。
それが大出世したとなれば、他の多数の幕閣からすれば目に触る“成り上がり者”でしかありません。
その時点で敵を作りやすいのに、生真面目でズケズケともの言うのすから敵が増えてしまうのは自明の理。
家宣の庇護下ではその状態でもやっていけましたが、次の徳川家継時代になると、さらに幕閣との溝は深まりました。
家宣は詮房を頼りにしていたので、当然、幼い家継にもよく仕えるよう命じていました。そして真面目な詮房は、かつて家宣にしていたように、家継にも昼夜問わず仕えます。

徳川家継/wikipediaより引用
そこで微妙な存在となったのが、幼い家継の側にいた生母・月光院です。家継は年齢一ケタ前半の幼児ですから、彼女が側にいたのですね。
勘の良い方ならお気づきかと思いますが、「家継を挟んで生母と臣下が同席する」という場面が非常に多くなり、そしていつしかこんな噂が……。
「詮房は月光院様とデキているからあのように振舞っているのだ」
昼メロのようなお決まりの展開で笑って済ませられるのは現代だから。
儒教が重んじられるようになっていった江戸時代において、不倫は大問題ゆえ、ここからさらに詮房の悪評が広まったのです。
噂を立てられても、仕事!仕事!仕事!
身分が低いとはいえ武士の生まれである間部詮房が、それがわからないほどのアホではないでしょう。
それに、家宣から家継を任されていたのですから、わざわざそんな危ない橋を渡らなくても、家継を手玉に取ることなどたやすかったはずです。
実際、家継は詮房を父のように思い、懐いていたとも恐れていたとも伝わっており、なかなか女中の言うことを聞かないときでも
「越前殿が参られます」
と言えばすぐに素直になったとか。
反感を買い続けた詮房と言えば、そうした悪評に対し、何らかの改善策を講じた形跡は一切ありません。
「人の噂も七十五日」と言わんばかりに、さらに仕事に邁進しておりました。
せめてここでもうちょっと自分の派閥を作るなり賄賂で手なずけておくなりしておけばよかったのですかね……。
しかし、根が真面目ゆえに「きちんと仕事をしていれば問題ない」と思っていたようです。
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