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【飯塚伊賀七】
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伊賀七の代表的発明品は?
40代後半というと、年齢的に考えると、家督を譲ってからでしょうか。
”現役時代はバリバリ働き、引退してからは自分の興味関心が強い分野を極めて後世に名を残す”
というのは、江戸時代の人にはたびたびあるパターンです。
伊能忠敬などが良く知られていますね。
伊賀七の発明品はデカイ算盤から建築物まで多岐にわたりますが、特に有名なのはこの辺です。
・酒買い人形
伊賀七の家の斜め向かいにあった酒屋まで、お使いをしに行けたという人形です。
人形の手に持った酒瓶に酒を一定以上注いで向きを変えると、また家まで歩いていったといいます。
距離は2.8mほどだったそうですが、当時この発想が出てきたことがスゴイですよね、元祖アンドロイドといえるかもしれません。同様の「豆腐買い人形」もあったとか。
・茶くみ女(人形)
こちらも文字通り、客人のところまで茶碗を運べたという人形です。
茶碗を取ると止まり、茶碗を載せるとまた歩くようにできていたとか。
「伊賀七の家を訪れたらとからくり人形に出迎えられた」という話もあるので、酒買い人形や茶くみ人形の他にも、違うタイプの人形がいくつかあったんでしょうね。
”人形だらけの家”というと、RPGに出てくるマッドサイエンティストの家のようですね。
「コワイ!」と思うか、「面白い!」と思うかは、見た人の感性に大きく影響されそうです。
・五角堂+α
その名の通り、床が五角形になっている建物です。
伊賀七の作ったもののうち、唯一飯塚家に残っているものでもあります。
中には米つき機などの農業機械や、2mもある大型和時計などが置いてあったとか。
機械そのものは分解されてしまいましたが、つくば市谷田部郷土資料館などで復元されています。
エレキテルの発明者という説もあるほど
他に、伊賀七は人力飛行機や木製自転車なども作ったそうです。
彼がエレキテルの発明者という説もあるくらいですから、当時は「あの人ならなんでも作れるに違いない」と思われていたんでしょうね。
発明品があまりにも多彩すぎて掴みきれない感じもしますが、名主としての責任感の他に、とても優しい人だったのではないか……という気がします。
農業機械があれば作業効率が良くなりますし、
「からくり人形が普及すれば、身寄りのない人や病人・けが人・老人なども生活が楽になる」
と考えていたのではないでしょうか。
伊賀七は、自分の発明品に現代でいうところの製造年月日や取扱説明書のようなものを書き添えることもあったそうです。
自分だけのためではなく、人のためにいろいろなものを作っていたとしたら、この点もしっくりきますよね。
文字に残しておけば、伊賀七がいないところや死後も使い方がわかりますから。
だいぶ美化した予想かもしれませんが、ただの趣味でやるにしては大掛かりなものが多いので、あながち間違いでもないんじゃないかと。
★
伊賀七の遺した作品や記録は、その大部分が戦後に解体されたり、再利用されて失われたといわれています。
しかし「なくなったと思われていたものがひょっこり出てくる」のも珍しいことではありません。
伊賀七への注目がさらに強まって、研究する方が増えたり、血縁にあたる方の家が見つかったりすれば、彼の発明品が出てくる可能性もゼロではないでしょう。
その日を楽しみに待ちたいですね。
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長月 七紀・記
【参考】
田村竹男『飯塚伊賀七―民間科学者からくり伊賀伝 (1979年) (ふるさと文庫―茨城)』(→amazon)
有澤隆『図説 時計の歴史 (ふくろうの本)』(→amazon)
飯塚伊賀七/茨城県(→link)
飯塚伊賀七/Wikipedia
五角堂/Wikipedia