天才か変人か――絵に没入しすぎるあまり、私生活も尋常ではなかったと目される葛飾北斎。
男女四人の子供がいたとされますが、そのうちの一人だけ、親に続いて絵師の道を歩む者がいます。
娘の葛飾応為(おうい)です。
「あの北斎の子供であれば、さぞかし普通ではない絵を描くのだろう」
もしも、こんな期待をされれば、大抵は「現物見たら思ったより大した事ないな」とガッカリされるのがオチですが、ところが応為の場合はそんな型にはまらない。
ジャンルによっては北斎よりも腕が上では?という評価もあるだけでなく、私生活に目を向ければ、家事はまったくやらず、酒タバコを好み、とにかく気が強い――そんな我が道を行く人物だったりするのです。
現代の堅苦しい日本には、到底生まれてきそうにない。
破天荒で魅力的な女浮世絵師・葛飾応為の生涯を振り返ってみましょう。
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北斎の三女・栄は出戻り娘
葛飾北斎は二度結婚し、男子二人、女子二人の子供に恵まれました。
このうち三女である栄は、いつ生まれたのか、証言すらバラバラで確定できず。
北斎の娘として「辰女」という人物の作品もあり、葛飾応為と同一人物とする説が有力ですが、父の作業場に入るうちに自らも筆を執るようになり、見事な腕前となっていったのでしょう。
こうした父の仕事場を手伝いながら浮世絵師になった女性としては、歌川国芳の娘である芳女と芳鳥がいます。
葛飾北斎は、江戸っ子らしく頑固な性格でした。
娘の栄もまた父譲りの性格で、ズボラかつ、とにかく気が強い。父は娘を「アギ(顎)」と呼ぶほど、特徴的な顎をしていました。
そんな栄は、3代目堤等琳の門人・南沢等明に嫁ぎます。
彼女は結婚すると筆を置き、内職で芥子人形細工を作るなどして、それなりの稼ぎを得ていました。
そうはいっても、家事はしない。着飾るわけでもない。女らしさというものがまるでない。
しかも気が強く、負けず嫌いときてる。
そんな彼女からすると、この夫は、父そして己と比べてまるで腕がなっていません。
「なんでェ、この絵はよォ」
夫の絵を下手くそだと鼻で笑ったところ、ついに愛想を尽かされ、追い出されたのでした。
こうして栄は、実家に出戻りとなります。
最初の結婚で懲りたのか、このあと彼女には浮いた話ひとつありません。“出戻り”ということが、彼女の絵師としての人生を決定的にしたと考えられます。
父を手伝っていた浮世絵師の娘たちは、他にもいたはずです。
しかし結婚後は消えてゆくさだめにある。女性絵師たちは、父の名があってこそ世間に知られるというのが当時の感覚です。
北斎は、こうして出戻った三女と共に絵を描くことになります。
男子も含め、北斎の子の中で画才が突出しているのはこの栄。
その画号は「応為(おうい)」とされ、以下、表記を統一します。
由来に諸説ありますが、その中でも有名なのが、北斎が「オーイ」と呼ぶからというものでしょう。
父のそばで絵筆を執る彼女は、のびのびと生きていました。
父はやらない酒と煙草も嗜む。絵の上に灰を落としてしまい「もう二度と吸わない!」と誓うものの、結局吸い始めてしまう。
家が散らかっていても平気。
料理なんて一切しない。
良妻賢母としての資質は欠片もないが、絵師の才には恵まれている。
美人画や春画は、父ですら敵わないと漏らすほど突出した腕前だったのです。こまやかなほつれ毛や繊細さは、父には出せない効果と評価されるほど。
そうはいっても、注文をする版元は、父の名声ありきで発注します。
応為は時に女性相手に絵を教え、稼ぎを得ることもありました。筆一本と父の名を背負いながら生きていく――それが葛飾応為という絵師でした。
偉大なる父のもとで絵を描く
葛飾応為を考える上で厄介なのは、彼女自身が描いた作品だとわかる証がなかなか見出せないことです。
落款がない。
それどころか削られているように見えることすらある。
かと思えば、葛飾北斎の作品に、どうも葛飾応為の特徴を備えたものがある。
そこには浮世絵の“商品”としての事情がありました。
葛飾北斎は有名で買い手がつくけれど、その娘となるとそう簡単ではない。
絵の中身よりも絵師の名前に価値が見出される――こうした状況は今も昔も変わらなかったのでしょう。
葛飾応為自身が名前を隠したいとか、謎めいた存在になりたかったとか、そういうことではなく、需要と供給により、彼女は隠れがちだったのです。
葛飾北斎は驚異的な長寿を保ち、最晩年まで作品が残されています。
こうした作品の中に、葛飾応為の代作も混じっているとみなす説もある。
「北斎がそんなことをするわけがない」となるか。
「いや、いくら北斎だって、これほどの高齢でこの作品を描けたとは思えない」となるか。
父の側に立つか、娘の側に立つか、見解が正反対になるところが興味深いものです。
なお当時は、師匠の作品を弟子が手伝うなり代筆することは恥ではなく、他の絵師にも同様の例があることは踏まえておきたいところです。
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