葛飾応為

露木為一『北斎仮宅之図』に描かれた葛飾応為/国立国会図書館蔵

江戸時代 べらぼう

家事はせず酒タバコを好み気が強い 葛飾応為(北斎の娘)は最高の女浮世絵師だ!

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いま見ても斬新な光と影

2020年代に大人気となった『鬼滅の刃』では、アニメ化において葛飾北斎のタッチを意識しているとされます。

水の呼吸を使いこなす剣士たちは、刀から波がほとばしる――その飛沫は確かに北斎の作品を連想させます。

それだけでなく葛飾応為の代表作を彷彿とさせるのが、2021年12月から放映された「遊郭編」でした。

華やかな光の世界のような遊郭に、闇の化身のような鬼が潜む。

そんな歴史の裏と表を描くような展開であり、葛飾応為の代表作の中にも、光と影が鮮やかに描かれたものがあります。

石灯籠の灯りで短冊を描く女性を描いた『夜桜美人図』。

そして『吉原格子先之図』です。

葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用

遊女と客を選ぶ華やかな場面のようで、光だけでなく闇もある。美しい遊女の顔は見えず、むしろ陰影が印象的です。

特定が難しいとされる彼女の作品ですが、この絵は提灯に「応」「為」「栄」の三文字が描かれていました。

この作品には、北斎と応為の父と娘が関心を寄せていた、当時は「紅毛画」とも呼ばれた西洋絵画の技法が反映されているとも指摘されます。

誰にも真似できぬ絵の境地に達したい――そう考えていた北斎は、様々な技術の習得を目指してシーボルトとも交流し、オランダ人カピタンの注文も受けていました。

このときの鮮やかな青を描くための「ベロ藍」の導入は有名ですね。

彼らは常に新技術の導入を怠らなかったからこそ、いま見ても古さを感じさせない、むしろ斬新な作品を生み出すことができたのでしょう。

彼らが人気に左右されにくい、独立独歩の姿勢で歩んできたからこそなし得たのかもしれません。

同時代、江戸で売れに売れた人気絵師・歌川国芳がいました。

猫と後ろ姿が特徴の『歌川国芳の自画像』/wikipediaより引用

彼も西洋画の技法を取り入れてみたい。そう奮起し、葛飾北斎に入門を申し出たことがあります。

「別の流派だし、アンタはすでに売れっ子じゃねえか」

北斎はそう断ったそうですが、互いに敬愛はあったようで。

国芳ですら、リアリティタッチの『忠臣蔵』こと『誠忠義士肖像』は売れず、まさかの打ち切りにあっています。

こうしたことを踏まえると、西洋画と浮世絵を融合させた北斎と応為の技量とセンスは、際立っていたのでしょう。

 


女流画家としてジェンダー観点からも再評価が進む

現在、世界規模でジェンダー観点での歴史の見直しが進んでいます。

男性ばかりが研究や発信をしていると、女性の活躍は過小評価される――このことが認識され、埋もれていた女性の活躍が再認識されているのです。

例えば、「男性は狩猟で、女性が採集」は誤りであるとか。

バイキング指揮者の墓の被葬者が、女性首領であると確認されるとか。

ムーラン』で注目を浴びた女性戦士は、中国史上に点在するとか。

こうした動きの中で、女流文人の再評価も進んでいます。

およそ四世紀の間、埋もれていたのに今は大人気となっている、ルネサンス期のアルテミジア・ジェンティレスキがその代表例。

性的暴行の被害にあった記録を残した彼女の絵には、美化されたか弱い女性像ではなく、力強く抵抗する姿が描かれています。

アルテミジア・ジェンティレスキ作『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』/wikipediaより引用

葛飾応為の場合、凄絶な体験は記録に残っておりません。むしろその時代の制約から解き放たれた生き生きとした人物像が魅力です。

江戸っ子らしくサッパリとしていて、がさつな気性。

家事をろくにせず、絵筆を執り続けた生き方。

浮いた話を無理矢理作らなくてもよい。だって出戻りになってからはそんなことねえし。

語り継がれたその姿は飄々としており、一人の人間としても魅力的です。

良妻賢母となることのみが女性の生き方である――そう教え込む時代に「そんなこと知ったこっちゃねぇ!」と笑い飛ばすように酒を飲み、煙草をふかし、占いにハマり、絵を教えにふらっとどこかへ出かけてしまう。

葛飾応為には非常に魅力があります。

作品も生き方も力強く、いつの時代になっても古びることはない。

人間として、絵師として、興味が尽きない。それが葛飾応為という人物なのでしょう。

 


浮世絵師の再評価は終わらない

葛飾応為が忘れられていた状況は、前述したように女性としての問題もあります。

それだけではなく、浮世絵師全体に通じる課題もありました。

今でこそ大人気で評価されている絵師の作品であっても、所蔵品が海外にしか残されてないことがしばしばあるのです。

あれほど江戸っ子が熱狂した絵師の作品であっても、明治の御一新を迎えると、時代錯誤の象徴とされ消えてしまう。

なまじ大量に印刷され流通していたこともあってか、陶磁器を包む緩衝材代わりにされてしまったり、捨てられたり、美術品とは見なされない状況になってしまうのです。

どれだけ大物絵師の作品だろうと過去の異物となり、海外からの逆輸入や再評価でようやく日の目が当たったケースも多い。

いったいどれだけの作品を描いたのか。生没年はいつなのか。どんな人生だったのか。

そこまで判明している絵師はごく一部なのです。

葛飾応為『三曲合奏図』/wikipediaより引用

葛飾応為が埋もれていたとすれば、それは彼女自身というよりも、脱亜入欧を掲げるあまり、自国の文化すら辿れなくなった国そのものの問題もある。

消えた女性浮世絵師は、応為だけとどまりません。

応為は女性たちに絵を教えることで、収入を得ていました。

つまり、女性でも絵を描く人がそれだけ多かったということです。

歌川国芳の門下には、芳玉という女性絵師もいました。彼女は夭折してしまいましたが、長生きすればもっと有名であったかもしれません。

彼女たちはどこへ消えてしまったのか?

女性浮世絵師の中で最も輝いている葛飾応為ですら、雲の間から顔を出す月のように謎めいている。

これから研究が進み、光が消えてしまった女性絵師たちがまた見えるようになることを願いましょう。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
檀乃歩也『北斎になりすました女 葛飾応為伝』(→amazon
永田生慈『葛飾北斎』(→amazon
諏訪春雄『北斎の謎を解く』(→amazon
小林忠『別冊太陽浮世絵師列伝』(→amazon
若桑みどり『女性画家列伝』(→amazon

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