朝はゴハンにお味噌汁。
昼には天ぷら蕎麦を食べ、夜は魚の煮付け……というように、日本人なら一日一度は食すであろう和食(日本料理)。
ごく当たり前のように口へ運んでおりますが、メニュー1つ1つにも様々な経緯があり、我々の大好きな和食はいつどこで今のような型式になったのか。
日本料理のはじまりはいつ?
そもそも日本料理とは?
明治以降に入ってきた西洋料理と区別するために生まれた概念です。
ただし、とにかく歴史があればいいってもんでもなく、さすがに縄文人が食べていたような「どんぐりの縄文クッキー」などはメニューに含まれないでしょう。

沖ノ原遺跡出土の縄文クッキー(炭化している)/photo by Takuma-sa wikipediaより引用
振り返ってみますと、奈良時代以来の日本は、当時、先進国だった中国(唐)を常にお手本として来ました。
制度や服装だけではなく、料理においてもそれは同じです。
8世紀頃の飲食物は、中国ゆかりの品が流行最先端。
権力者たちは、遣唐使が持ち帰った中国由来の製法や食材を、ステータスシンボルとして味わっていたのです。
たとえばこれらのもの。
醍醐(だいご):乳製品の一種。現在のヨーグルトのようなものとされている
蘇(そ):乳製品の一種。現在のチーズのようなものとされている
団茶:茶葉を蒸して型に入れ、固めたもの
しかし、こうした中国由来の飲食物は、遣唐使の廃止とともに廃れます。
日本独自の料理ができあがっていくのは、平安時代の中期以降でした。
肉料理が少ない――そんな大きな特徴は、7世紀後半に天武天皇が「牛、馬、犬、サル、鶏」の肉食を禁じたことから始まります。
乳製品の摂取が流行したのは、タンパク質不足を補うという意味もあったようです。
イワシが好きな紫式部
紫式部の好物はイワシだった、という話は有名です。
しかしイワシは卑しい魚とされており、夫の留守中にこっそり食べようとしていたものの、臭いバレして恥ずかしがったなんてオチもありまして。
江戸時代の書物に見られる逸話ですが、そもそも平安時代の美意識として、
「女性が食欲旺盛だったり食に執着したりする点」
が恥ずかしかったのではないかと思います。
紫式部の書いた『源氏物語』に出てくる女性たちは、皆たくましいというよりも儚げです。
元気モリモリで食事をするイメージはありません。
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紫式部の生涯は「源氏物語」ではなく「紫式部日記」でよく見える
平 ...
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イワシやアユといった魚は、平安時代にはタンパク質が摂取できる貴重な食材でした。
当時の調理法は蒸す、煮る、焼く程度しかありません。
限られた食材をシンプルに調理して、いただく。
それが平安時代の食事です。
当時、最高ランクの食事は、「大饗(だいきょう/おおあえ)料理」というものでした。
最高ランクの料理でも、出汁を取ることもなく、前述の通りシンプルな調理法しかありません。
そんな料理に、塩や酢といった調味料をつけていただくものです。
品数は多いものの、現代人から見ると、味の面でも栄養の面でもかなり偏っていますよね。
平安時代の寿命の短さは、栄養バランスが取れていない食事が一因でもあるでしょう。
【平安時代の再現料理が食べられる場所】
◆岩手県奥州市「えさし藤原の郷」
◆京都府京都市の「六盛」
精進料理の伝播と武家の食事へ
鎌倉時代になると、中国から禅宗とともに精進料理が伝わりました。
中でも影響が大きいのが、豆腐等大豆を使った料理、小麦を用いた麺類。
材料を蒸すか、煮るか、焼くかしかなかった調理法は、格段に進歩するのです。
室町時代には、本膳料理が登場します。
【酒礼・饗膳・酒宴】の三部から成る本格的な料理でして。
私たちがイメージする日本料理というのは、だいたい室町時代から確立していったようです。
戦国武将の活躍頃から、料理にまつわる逸話も増えてくると思いません?
食の戦国時代
各地で群雄が争う戦国時代。この頃は、戦争以上に“外交”は大事な場でした。
大切な客や同盟相手をどうもてなすか。
そのことに戦国大名や武将たちは頭を悩ませていたわけです。
有名なところでは、織田信長が安土城で徳川家康と家臣団をもてなした饗応がありますね。
信長自らが膳を運んだのですから、いかに気合いが入っていたかがわかります。
「男子厨房に入るべからず」
という言葉を、戦国大名や武将が耳にしたら、一笑に付すことでしょう。
通人、粋人という自覚のある者は、自ら包丁を手にして料理することこそ、最高のおもてなしだと考えていました。
このころ来日した外国人は、武士にとって重んじられるスキルBEST3として、以下の三つをあげています。
1. 弓術
2. 蹴鞠
3. 料理
華麗な包丁さばきで料理を切り分けることは、武家や公家にとって、スマートで尊敬される特技であったのです。
ちなみにヨーロッパでも、食卓で肉を適切に切り分けて配ることが、紳士のたしなみとされています。
給仕は使用人がしても、肉料理を切り分けるのは主人の名誉ある役目なのです。
伊達政宗公もこんな言葉を残しておりました。
「ご馳走っていうのは、旬の品をさり気なく出して、主人自ら包丁を持ってもてなす事だぞ」
当代きっての文化人武将である細川藤孝(幽斎)も料理の名人。
更にその息子である細川忠興(三斎)も、父親同様に包丁名人を自覚していました。
俎(まないた)が少し薄いようですな
細川忠興には、こんな話があります。
ある日、彼は自慢の包丁の腕前を披露し、茶の師匠である千利休に鯉料理を振る舞いました。
「結構な腕前です。ただし、俎(まないた)が少し薄いようですな」
利休は料理を味わったあと、そう言いました。
完璧な調理道具を揃えていたはずだと忠興は驚き、早速、俎を調べてみました。
すると家臣が、
「実は俎の表面が汚れておりましたので、表面を少し削りました」
と言うではありませんか。
忠興は利休の味覚に驚きました。
師弟両人ともに、料理に関して抜群のセンスがあったというわけです。
さらに戦国時代で忘れてならないのが【懐石料理の成立】です。
日本文化における巨人・千利休が茶の湯で振る舞った料理が原型とされ、おもてなしにふさわしいものです。
また、来日した宣教師からは南蛮菓子や南蛮料理が伝わり、ますます舌は肥えていくのでした。
【戦国時代の再現料理が食べられる店】
◆愛知県名古屋市 徳川美術館 宝善亭「信長御膳」
◆岐阜県岐阜市長良川温泉「信長おもてなし御膳」
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安土城で家康に出された食事「信長御膳」舌で味わう歴史エンタメが再現された!
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江戸時代 外食産業と郷土料理
太平の世が訪れた江戸時代。
食生活も大きく変貌しました。
まず料理屋が生まれます。
戦国時代の武士は、おもてなしをしたいと思えばどこかに招いて料理をふるまいます。
これが現代との大きな違いで、今であれば、
「口コミサイトでみかけた美味しい店に招待するか」
「出前でも取るか」
となる方が多いでしょう。
そうなったのは江戸時代以降。
料理屋も、仕出し屋も、この頃から始まりました。
上流階級でなくとも、他人が作った料理を食べる時代となったわけです。
「最近の若いものは、料理もせんと買ってきて済ませようとする」
誰かがこう愚痴を言うようになったのは、コンビニ弁当が流行してからではありません。
江戸時代には、テイクアウトできる屋台が既にありました。
レシピ集も発行させるようになりました。
江戸時代以降の再現レシピはインターネット上でも検索できますが、それはひとえに『レシピ集』が残されているからです。
それ以前の料理となると、曖昧な描写や、名前から類推するしかない場合がほとんどです。
ゆえに江戸時代以降の料理は、それ以前と比べて「美味しそう!」と思うものも増えてきます。
池波正太郎の『鬼平犯科帳』シリーズに出てくる江戸前の料理なんて、まさに垂涎ものではないでしょうか。
さらに江戸時代になると、料理に地域ごとの差が生まれてきます。
例えば醤油は、関東は濃い口、関西は薄口で別れますね。
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「関東のうどんは真っ黒けの汁やわ~!」
という関西人にはおなじみの話は、江戸時代以降の違いというわけです。
江戸料理、京料理だけでなく、この頃になると日本各地で様々な郷土料理が生まれました。
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現在も異なるお雑煮の味付けや餅の違い等も、江戸期に生まれたものです。
こうした郷土料理の差は、現在の都道府県ではなく、江戸時代の藩単位で異なることがほとんどです。
各地で伝統野菜も栽培されるようになりました。
伝統野菜はその地域の土壌や気候に根ざした品種です。
こうした伝統野菜は生産量が限られていたり、病害に弱かったりする欠点がありました。
大量生産大量消費の1970年代以降急速に廃れてゆきますが、現在では各地で見直す動きが出ています。
そもそも地域差が特徴の日本料理
江戸時代にほぼ、現在の形に完成された日本料理。
明治時代以降は、洋食の伝播とともに、和製洋食という新たな時代を迎えます。
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現在の日本料理は海外でも割と普通に食べられるようになりました。
海を越えて、現地の人に愛されるかたちに変貌を遂げる料理もあるようです。
そういったアレンジ日本料理に反発する声もあるようですが、そもそも日本料理には地域差のあるのがデフォルトです。
「あんな真っ黒い汁はウドンちゃうやろ」
そんなことを言っていたりするわけで。地域に根ざして変わるのも、また日本料理です。
世界という舞台で、どんなアレンジが行われるか。楽しみにするのも一興ではないでしょうか。
文:小檜山青
【参考文献】
『日本料理の歴史 (歴史文化ライブラリー)』熊倉 功夫(→amazon link)