風刺雑誌『トバエ』に掲載されたノルマントン号事件の様子/wikipediaより引用

明治・大正・昭和時代

ノルマントン号事件の理不尽な結末――3ヶ月の禁固で済んだ船長の責任とは

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明治十九年(1886年)10月24日、イギリスの貨物船・ノルマントン号が和歌山沖で沈没しました。

和歌山沖の沈没というとトルコと日本を結びつける契機となった【エルトゥールル号遭難事件】を思い出しますが、こちらのノルマントン号事件は、当時の西洋人がいかに非道な視点を持っていたかが明らかになる紛争事件のきっかけでもあります。

学校で習ったときは「イギリス人が日本人を見捨てた」というような感じで聞いた方が多いと思います。

実は若干の差異がありますので、今回はその辺を詳しく見ていきたいと思います。

 

イギリスvs日本ではなく加害者も被害者も多国籍

今回の要点は大きく分けて二つ。

一つは、助かった船員はイギリス人だけでなくドイツ人など他の西洋人もいたこと。
そして、助からなかったのもまた日本人だけではなく、中国人やインド人がいたといいます。

日本人は利用客、中印両国人はスタッフという立場の違いはありましたが、こうなると「日本人だから助けなかった」のではなく、「有色人種を全部ひっくるめて見殺しにした」のは火を見るより明らかですよね。

黄禍論も真っ青の人種差別。

当時の欧米人は「アジア(笑)」みたいな価値観がまかり通っていました。むろん全員ではありませんが、そうした傾向があったことは否定できません。

生存した船員の言い分では「アジア人たちにもボートに乗るように言うと、言葉が通じなかった」としていますが、これはおかしな話です。

 

言葉が通じなかったため招いた悲劇

外国人の船であることはわかっていたのですから、全員は無理でも一人か二人くらいは会話ができる通訳的な位置づけの人がいないと、そもそも船を利用できないですよね。

まあ、その人が先に溺れてしまったというのであれば話はわからなくもないですし、「言葉が通じなかったために悲劇を招いた」というのはままあることなのですけども。
以前取り上げたカナダのハリファックス大爆発なんかがそうですね。

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こっちはノルマントン号より後の話ではありますが、このとき「爆発が起きそうだ」と予感した船員達は必死に呼びかけました。
しかし、大多数の人にフランス語が通じず、消防隊や見物人が何百人も犠牲になってしまったといわれています。

ハリファックスのほうも、裁判にはなったものの具体的な処罰はされていません。
事故のきっかけとなった船について調べられた結果、「皆同じくらい責任があるよね」ということで、なあなあのまま終わってしまったのです。

船長や船の持ち主が収監されたとか賠償金を払ったとか、遺族に謝罪した形跡も見られません。
被害の規模が大きすぎたために、「皆責任がある」ということにして手を打ったのかもしれませんが。

 

不平等すぎる船長はたったの禁錮3か月

でも、ノルマントン号については具体的な責任の所在がはっきりしているのですから、真摯な姿勢であれば謝罪や賠償を願い出るくらいのことはしてもいいはずですよね。

それをしなかったということは、やはり後ろめたいからなのでしょう。
罪を認めるのが嫌なのか、有色人種を侮っていたからなのか……両方ですかね。

この辺については世論も大ブーイングをしていて、当時の新聞や本でもツッコまれまくっています。

当時の外務大臣・井上馨(かおる)も「ソレおかしくね?」と不審に思い、即座に現地調査を命じました。そりゃそうだ。

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言葉が通じなくても状況的にボートにしがみつこうとするくらいの行動はあったでしょうし、それでいて「アジア人」というくくりにしてもほとんど助からなかったというのは無理がありすぎます。

結果、当時は不平等条約の改正がまだ成されておらず、被害の大きさと比べて異常なほどの微罪で終わりました。

船長が三ヶ月の禁固に処されただけだったのです。

国家の大事とはいえ、よくこの状況で【日英同盟(1902年)】が結べたものですね。
犠牲者の遺族達はさぞ胸の悪い思いをしたことでしょう。

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
ノルマントン号事件/wikipedia
ハリファックス大爆発/wikipedia

 



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