昭和6年(1931年)6月13日に亡くなられた北里柴三郎です。
実はこの北里、ヨーロッパの人口を激減させた死の病気・ペストの日本拡散を防いだ偉大な功労者。
他にも多々功績があり「日本細菌学の父」とも呼ばれる方です。
また福沢諭吉との友情・恩から、慶応大学医学部の創設に無給で貢献した義に篤い人でもあり、僭越ながら私も医師のはしくれとして尊敬している人物です。
お札に採用されるのは極めて妥当――と、激しく納得しますが、では具体的にペストとはどんな怖い病気で、北里柴三郎はどうやって上陸を阻止したのか。
あまり知られておりませんよね。
そこで今回は不肖・馬渕まりが、ペストという病気を見ながら、細菌学者『北里柴三郎』博士の紹介をしたいと思います。
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げっ歯類からノミに移動し人へ感染
まずはペストがどういう病気かご説明いたします。
ペストは、ペスト菌によって引き起こされる病気で、重症肺炎または高熱を伴うリンパ節腫脹を呈します。敗血症になることもよくあります。
感染経路としては、野生のげっ歯類に発生し、その血を吸ったノミにより人へ。ただし、肺ペストになると人から人へも感染します。
ペストは臨床症状から3つのタイプに分類できます。
①腺ペスト(ペストの80~90%)
潜伏期は2~7日。感染部(ノミに刺された部位)のリンパ節が痛みとともに腫れます。
菌は血流を介して全身のリンパ節、肝や脾でも繁殖し、多くは1週間くらいで死亡。未治療の場合、致死率は約60%と高率です(早期に適切な抗生剤治療を行なえば、腺ペストの致死率は5%以下にすることができます。)
②敗血症ペスト(約10%)
時に局所症状がないまま敗血症症状が先行し、皮膚のあちこちに出血斑が生じて全身が黒色となり死亡します。これが『黒死病』という名前の由来です。
③肺ペスト
ペスト菌が肺に感染すると肺ペストとなります。肺ペストは強烈な頭痛、嘔吐、高熱を伴って急激に発症します。呼吸困難、鮮紅色の泡立った血痰を伴う重篤な肺炎像を示し、2〜3日で死亡するのが通例。未治療の場合はほぼ100%死亡します。咳や泡沫を介して人から人に感染します。
数百年毎に大惨事 1340年代には8500万人が死んだ
ペストは有史以来4回の大流行があり、第1回目は6世紀の東ローマ帝国でした。
最も酷い時期には首都コンスタンチノープルで1日1万人が死亡したと言われ、次の大流行まではしばらく期間を置いてます。
第2回目は1340年代に始まる黒死病の流行でした。
この時は全世界で8500万人の命が失われる大惨事に! この流行でヨーロッパの人口が半減したと言われています。
次も再び300年ほどの期間を置いて、第3回目は17世紀に大流行しました。
ロンドン大疫病とも呼ばれており、約7万人が亡くなっております。
そして第4回目は19世紀。
中国とインドで1,200万人が死んだという世界的流行は、香港から世界に広がりました。
あれれ、日本は?
日本にも上陸していた!? それを防いだのが
日本初のペスト患者がでたのは第4回目の流行のさなか1896年のことでした。
その2年前の1894年、スイス・フランスの医師、アレクサンドル・イェルサンが香港で発見しておりましたが、実は同時期に、日本人が全く独立でペスト菌を発見していたのです。
そうです。
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