『病草紙』/国立国会図書館蔵

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

平安京を襲った“疫病”とは具体的にどんな病気だったのか?貴族も感染した?

貴族たちの優雅な世界観が描かれるのかと思いきや、主人公の母がいきなり刺殺されたり、平安京の郊外(鳥辺野)に死体が放置されたり。

殺伐とした現実も丁寧に描かれることで話題の大河ドラマ『光る君へ』。

いま最も注目すべき災厄が“疫病”でしょう。

第16回放送では、川や悲田院に死体が溢れ、主人公まひろもあわや感染か――というところで、藤原道長に看病されて回復したシーンは非常に示唆的でもありました。

というのも道長の兄である藤原道隆は「疫病は下々の者たちだけで、我々貴族には関係ない!」と終始一貫強気だったからです。

しかし、実際は貴族ですらも感染したという報告があり、他ならぬ道隆も「やたらと水を飲みたがる病気」に罹って、結局、権力欲に固執しながら息絶えてしまいました。

そこで気になるのがこれでしょう。

・疫病とは一体どんな種類の病気なのか?

・貴族は他にどんな病気にかかっていたのか?

日記などの記録をもとに、当時の疫病・病気を振り返ってみましょう。

 


疫病とは具体的にどんな病気なのか?

疫病とは、集団感染する伝染病のことを指します。

いわばパンデミックであり、現代でもコロナウイルスが世界中を騒がせたことは記憶に新しいですが、平安時代で怖い病気はなんだったのか?

主な伝染病をリスト化してみましょう。

・天然痘

麻疹(はしか)

インフルエンザ

顕微鏡も抗生物質もない時代。

一概にどれが最も怖い病気だったか?とはランキング付けできませんが、とりわけ天然痘は恐怖の対象でした。

ひとたび発症すれば高熱が数日続くだけでなく、体中に痛みが走り、さらには全身にボツボツ(水疱・膿疱)ができてしまうのです。

病後、回復したとしても顔に痘痕(あばた)が残れば、特に女性にとっては非常に辛いこと。

おまけに感染力や致死率が強いため、例えば天平9年(737年)に内裏で大流行したときは、政府が機能不全に陥った程とされます。

当たり前ですが、貴族も庶民も関係なく、伝染病に感染した――つまり藤原道隆が劇中で話していたことは、単なる希望的観測に過ぎなかったんですね。

しかも、こうした疫病については頻繁に起きており、『光る君へ』の舞台でとりわけ大きな流行となったのが長徳元年(995年)に広まった疱瘡(天然痘)でした。

ドラマの中で藤原道綱と藤原実資

「ちょー毒!」
「不吉だ」

といった会話をしていましたが、おそらく当時の大流行をベースに脚本が作られたのでしょう。

劇中でも描かれていたように、このときの平安京には死体が溢れ、以下のように壊滅的な状況が描かれています。

・人々は鼻を覆って通りを歩く

・カラスや野良犬が死体を食い飽きる

・骸骨が転がっている

・堀水に溜まった死体を下級役人がかき流す

さすがにドラマではそこまで描けませんよね……。

しかも、今後こうした疫病のことを細かく取り上げていくと、毎年のように流行っていることが藤原実資『小右記』や藤原行成『権記』あるいはその他の記録にも残されています。

というわけで天然痘(疱瘡)から、ここの事例を詳しく見てまいりましょう。

 


疱瘡=痘瘡=天然痘(もがさ)

疱瘡(痘瘡・天然痘・もがさ)は平安時代だけでなく、日本史でも世界史でも、たびたび登場する病気として有名ですね。

記録上で初めて登場するのは奈良時代(古墳時代という説もあるほど)。

かつては「お役」、つまり通過儀礼と見なされるほどよく罹る病気であり、「疱瘡は見目定め、麻疹は命定め」という言葉も生まれるほどでした。

平安時代では、長徳元年(995年)に大流行した病が天然痘であると考えられています。

この年は宮中に勤めていた貴族たちはもちろん、実は藤原道綱母のような宮仕えをしていない女性まで病死していました。

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劇中でフザけていた藤原道綱ですが、もしかしたら第18回放送では、彼の悲しむシーンがあるかもしれませんね……。

また、前述の通り、同年に藤原道隆が糖尿病で亡くなり、その他の貴族たちも天然痘で多数亡くなったことにより、藤原道長が台頭していくことになります。

歴史を動かした病といえるでしょう。

まぁ、その道長も結局は自身が糖尿病で亡くなる――という不吉な“業”のようなものも感じさせるのですが、糖尿病については以下の記事に詳しくありますので、よろしければご覧ください。

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天然痘は発症の仕方によって分類されており、

・最も発症数の多い真痘

・一度かかった人が発症した場合に軽く発症する仮痘

・アレルギーによって一部の人が重症化した場合の出血性痘瘡

などいろいろなケースがあります。

また、天然痘は「失明の原因」となる病気の一つでもありました。

戦国大名伊達政宗が有名であり、天然痘で失明してしまう場合、両目とも不自由にされてしまうケースが多かったとされています。

政宗は片目のみ失明した珍しいケースといえそうです。

古くから日本では全盲者・視覚障害者の職業として、盲僧琵琶や瞽女(ごぜ)などが存在しているのは、天然痘やその他眼病によって失明した者が多かったことからきているのかもしれません。

次に瘧(おこり)を見てまいりましょう。

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