明治三十六年(1903年)の4月11日、金子みすゞが誕生しました。
若くして亡くなったことは有名ですが、その理由が自殺であったということは意外とご存じない方が多いのではないでしょうか?
今と比べて平均寿命も栄養状態も悪かった時代に、なぜ彼女は自ら死を選んだのでしょう?
その生涯を追いかけてみました。
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西條八十の童謡に感銘を受け「私も書いてみたい」
みすゞの本名はテルといい、現在の山口県長門市で生まれました。
お父さんは清(当時の中国)で本屋さんを営んでいましたが、彼女が3歳のときに現地で亡くなっています。
稼ぎ頭を失った一家は、地元で本屋さんを始めました。
みすゞは女学校を卒業するまでは祖母の元で暮らし、その後は本屋さんを手伝っていたそうです。元から本が好きだったらしいので、天国に感じられたかもしれませんね。
そしてあるとき西條八十の童謡に感銘を受け『私も書いてみたい!』と思ったのが詩作のきっかけ。
20歳になったみすゞは、憧れの西條が選者をしている雑誌に投稿し、見事、目に留まって自作が掲載されます。
その魅力は直ちに広まり、今度は自身が全国の少年少女や若手詩人の憧れの的になりました。
結婚相手がロクデナシのDV男だった
結婚したのは23歳のときで、相手は父が経営していた書店に勤める男性でした。
そこそこの地位についていたそうですが、この人が女性問題を起こして本屋さんを追われてしまいます。
この時代のことですから、みすゞも夫に従わざるをえなくなりまして、ここからが悲劇の始まりでした。
旦那が何を血迷ったのか「お前のやっていることは気に食わん!今すぐやめろ!!」と当り散らしてきたのです。
どう見てもDVです。
本当にどうしようもありません。
しかも詩を通してできた友人達との交流まで禁じるわ、みすゞによそでもらってきた病気を移すわ、真性のロクデナシだったのです。
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