2021年大河ドラマは、内容に入る前にいきなり難しい壁にぶち当たります。
タイトルの『青天を衝け』――。
これはいったい何のことやら?
「青い空に向かって何か叫べ的な?」
字面からそんな風に思ってしまうかもしれませんが、もちろん由来はあります。
若き日の渋沢栄一が、家業の藍玉(染め物の原料)売りを手伝っていたころに詠んだ
【漢詩】
が由来です。
漢詩というと、難解な漢字に対して遠慮がちになってしまう方も多いものですが、意味を知れば楽しめるものであり、放置しておくのはもったいない。
てなわけで本稿では『青天を衝けの意味』を探って参りましょう。
渋沢栄一には実際どんな功績があったか「近代資本主義の父」その生涯を振り返る
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青天を衝けの意味
渋沢家では藍を自家生産・買い付けによって調達し、信州・上州・秩父(現在の長野・群馬・埼玉あたり)の染め物屋に卸すことで財をなしていました。
栄一はこの家業を手伝い、お得意先の染め物屋訪問や、藍の買い付けなどを担当していたといいます。
今で言えば「営業マン」に近いかもしれませんね。
そんなある日、栄一は信州の内山峡(現在の長野県佐久市付近にある峡谷)を経由して藍玉を売りに出かけました。
彼は現在の埼玉県深谷市に住んでいたので、今なら電車でも車でも大した距離ではないように感じます。
が、当時は言うまでもなく徒歩移動が原則であり、峡谷を超えるというのは身の危険と隣り合わせの「冒険」でした。
厳しい道を歩いた栄一は、そこでタイトルの由来となった漢詩を詠みます。
それが、
勢衝青天攘臂躋
気穿白雲唾手征
というもの。
現代語に訳すとこうなります。
「青空をつきさす勢いで肘をまくって登り、白雲をつきぬける気力で手に唾して進む」
つまり前半部の「衝青天」を抜き出してドラマのタイトルに名付けたんですね。
この詩は、彼の師である尾高惇忠と諸国を周って詠んだ詩を集めた『巡信紀詩(じゅんしんきし)』という詩集に収められ、私たちの知るところとなりました。
詩作を生涯の趣味としていた
彼が内山峡の詩を世に出したのは、まだ19歳のころであったと言われます。
私たちの感覚からすると「えっ、19歳で漢詩詠んじゃうの!?」と驚かれるかもしれません。
しかし、栄一はまだ6歳のころから父に漢詩の読み方を習い、文学の世界に没頭していました。
彼自身の言葉によれば「正月のあいさつ回りの際、歩きながらの読書に夢中になりすぎて溝に落ちたこともある」ほどの読書好き。
「歩きスマホ」ならぬ「歩き読書」を日常的にしていたというわけです。これなら、若くして漢詩が詠めても不思議はありません。
後に栄一は、実業界で日本の近代資本主義を創る大人物になっていきますが、趣味としての詩作は生涯にわたって続けられました。
その証拠に、栄一が残した書の多くは自作の漢詩や中国古典に由来したものであり、旅先や節目の時機など、タイミングを見ては詩を詠んだといいます。
もちろん、栄一の残した漢詩は今でも読むことができます。
彼の孫である渋沢敬三は、栄一の33回忌に『青淵詩歌集』(青淵とは、栄一の雅号という別名)を出版。
この本は栄一の著作を読むのに大変便利であるとされます。そして……。
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