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内山峡の詩は現地人を感動させる
栄一がその死後も人々から尊敬され続けていることは言うまでもありません。
現代にも彼が詠んだ詩に由来する「詩碑」がいたるところに残されています。
今回取り上げた「内山峡」の詩も例外ではなく、内山峡には記念の詩碑が建てられました。
しかし、この碑は栄一の関係者が築いたものではなく、彼の詩に感動した現地人たちの力を結集して造られたもの。
佐久の地に住んでいた小林義助という人物が、詩の出来栄えに感動して地元の有志達に声をかけ、南佐久郡内山村肬水(現在の長野県佐久市内山)に碑を建てたのです。
1940年の除幕式にはすでに亡くなっていた栄一に代わって敬三が招待され、彼と親交のあった政治家・小山邦太郎の邸宅に泊まりました。
翌日は除幕式の会場へ向かう際、これまた栄一が生前懇意にしていた漢詩人・木内芳軒の生家を訪問しています。
栄一が信州の地を訪れていたのは、言うまでもなく藍玉商売のため。
しかし、彼は商いと何の関係もない木内のもとをたびたび訪問し、漢詩や天下を論じたといいます。
聡明さはもちろん「コミュ力」を象徴するエピソードでもあり、彼の人柄がよく表れた詩碑ともいえるでしょう。
「逆境に立ち向かう栄一の姿」が象徴される?
あらためてドラマのタイトル『青天を衝け』に注目しますと。
先に紹介した漢詩に表現されている
「逆境に立ち向かう姿」
を象徴したものであると考えられます。
実際、NHKの公式サイトでは、この詩を「逆境に負けることなく突き進んだ栄一の人生とも重なります」と評価しており、やはりドラマでも大きなテーマとして扱われることは間違いないでしょう。
栄一の「逆境」は、確かに少なくありませんでした。
若き日は幕府の腐敗や未知のパリ留学で、実業家としては馴染みのない資本主義を日本に根付かせるなど、その道は困難極まりないもの。
彼は持ち前の勤勉さと思考の柔軟さで、そうした数多くの難局を乗り切り、現代の日本に数えきれないほどの功績を残しています。
タイトルを見るに、彼はドラマの中で何度も危機に立ち向かい、そしてそれを乗り越える姿が描かれるのでしょう。
吉沢亮さん演じる栄一がどのようにして逆境をはねのけていくのか。またその姿をどう描くのか。
少し気は早いですが、今からドラマの放送が楽しみです。
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文:とーじん
【参考文献】
渋沢栄一記念財団編『渋沢栄一を知る事典』(→amazon)
渋沢栄一著、守屋淳編訳『現代語訳渋沢栄一自伝:「論語と算盤」を道標として』(→amazon)
渋沢栄一記念財団「内山峡の巌碑除幕式」(→link)
同「デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第57巻」(→link)
彩北なび「【渋沢栄一記念館】企画展「渋沢栄一と漢詩」(→link)