横須賀海軍工廠

関東大震災直後の横須賀海軍工廠/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

横須賀海軍工廠は小栗や栗本など幕臣の提言から始まる~呉や舞鶴は?

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横須賀では現在も米軍の施設に利用されている

だいぶ話がそれました。横須賀海軍工廠の話に戻りましょう。

戦時中、多くの職人たちの手によって名鑑を生み出した各地の工廠は、戦争が終わると米軍に管理されました。

中でも横須賀は、米軍基地に近いという利便性から、現在も米軍の施設として使われています。

また、アメリカ海軍第7艦隊にとっては事実上の母港でもあります。

第7艦隊はアメリカ海軍の中で【ハワイ~インド洋】を担当している部署です。

東日本大震災時にトモダチ作戦へ参加した空母、ロナルド・レーガンが所属。

近年は、北の某国関連でもたびたび名前が出てきますね。

元横須賀海軍工廠の土地の一部は日本へ返還されましたが、残っているのは幕末から2000年(!)まで使われていた蒸気式ハンマーだけです。

これは近隣のヴェルニー記念館に展示されています。「ヴェルニー」はもちろん、上述の技師の名前です。

「最古の海軍工廠(だった土地の大部分)が今も米軍のものである」というところは皮肉なものですが、他の三ヶ所は日本に返還されました。

それぞれの戦後についても、簡単にご紹介しましょう。

 

・呉海軍工廠

民間に引き継がれ、現在も稼働しています。

自衛隊が使う艦船の建造はしていないそうですが、修理はたまに行っているそうで。

前述の通り、ここは「大和のふるさと」といってもいい場所ですが、大和の修理を行った「船渠(ドック)」が現存しているのだとか。

多分、やろうと思えば新しい船の建造もできるのでしょうね。

1945年にアメリカ軍が作成した呉市都市計画図/wikipediaより引用

現在の海軍では戦艦よりも空母や潜水艦が重んじられていますので、次の「大和」は戦艦以外に名付けられるのかもしれません。

体外的な刺激が強すぎて、しばらくは候補にもできなさそうですが。

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