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不死身の砕氷船「宗谷」戦火をくぐり戦後は南極観測へ出たタフな船

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南極の次は海上保安庁の巡視船

無事南極での仕事を勤め上げた宗谷は、海上保安庁の巡視船として漁業監視などを行うようになりました。

かつての船長の指揮で、宗谷のために同じ管区所属の巡視船を集めた観艦式が行われたことがあります。ばーちゃんのために孫を集めたみたいな感じですかね。

が、その観艦式の日に三宅島噴火の知らせを受け、救助に参加していたりもします。

ばーちゃん、まだまだ現役。

他にも

マグロ漁船で虫垂炎や硬膜下血腫を起こした人を救うために医師を乗せて急行

・慰霊や遺骨収集などの助っ人として参加

・後輩の巡視船や漁船を流氷から救出する

などなど、人間だったら確実に「アンタいつまで現役なんだ」とツッコミが入る活躍ぶりを見せています。

しかし、宗谷にもできないことはありました。

1970年の択捉島・単冠湾沖における漁船18隻の遭難事故では、状況が悪すぎて全員を助けることができなかったのです。

択捉島に避難していた生存者を釧路へ送り届けた後、再び捜索をしたのですが……。

この事故をきっかけに流氷情報センターが設置されました。

そして宗谷も「福音の使者」「北洋の守り神」と呼ばれるようになります。二つ名増えすぎ。

この失敗を繰り返すまいと、二年後には漁船や貨物船計21隻を流氷から救出しました。

もう全部あいつ一人(隻)でいいんじゃないかな。

お偉いさんのほうでもこれらの事故は重く見ており、海上保安学校で流氷対策や訓練の充実を図るため、教育期間を半年から一年に変更することが決まります。日常的に船で生活することで、緊急時にも迅速に行動できるようにしようというわけです。

発想自体は以前からあったのですが、訓練ができてなおかつ充分な居住区を持つ船を作れず、実現に至っていなかったのです。

ここで宗谷に白羽の矢が立ちます。

もともと船員以外の居住区が多く確保されており、改装もしてあってので、まさにピッタリの船だったのです。

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「稚内の方々もお元気で」

1972年からの宗谷は海上保安官の教育船として働くことになりました。

その後も漁船や後輩の船の救出に行っていますけども……だから、いつまで現役なのよ。

さすがにお偉いさんも「そろそろ改装しても限界じゃね?」と思い始め、1978年5月に海上保安庁創立三十周年の観閲式に観閲船として参加したのをきっかけに、ようやくお役御免が決まります。

「最後にもう一度宗谷を見たい」

そんな声が寄せられ、全国各地の港を巡る「サヨナラ航海」を行います。

舞鶴海上保安学校学生の実習も兼ねており、花も実もある航海でした。

各地で一般人はもちろん、海上自衛隊や陸上自衛隊にも歓迎され、最後には「稚内へもう一度来てくれませんか」と海上保安庁に要望が出るほどの人気ぶり。

これは実現し、再び稚内を離れるときには「蛍の光」などで見送られたとか。

それに対して宗谷は「UW1」の国際信号旗を掲げて去ったといいます。

UW1とは、船同士で使う場合「協力に感謝する」とか「貴船の安航を祈る」といった意味になるそうですので、この場合は「稚内の方々もお元気で」というところでしょうか。

泣ける(´;ω;`)ブワッ

こうして東京に帰還し、現役を含む歴代の海上保安庁長官や船長、観測隊員その他宗谷ゆかりの人々が集まって解役式が行われました。

海難救助の実績は15年間で350件・125隻。人数にして千人以上となります。

「海の守り神」と呼ばれるのも当然といった結果ですね。退役してあだ名が増えるとかわけわからん(ほめ言葉)

退役の翌年からは、東京お台場エリアにある「船の科学館前」で保存展示されています。

見学をご希望の方は公式サイト(→link)をご参照ください。

※「船の科学館」が工事中で見れなかったりします

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
宗谷/船の科学館(→link
南極観測宗谷/船の科学館(→link
宗谷/Wikipedia
砕氷船/Wikipedia

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