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【樋口季一郎】
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樺太では40万人もの一般人も入植しており……
北方戦線の場合、8月15日後にソ連軍が中立条約を破って攻め込んできたという苦難もありました。
それが樺太・占守島防衛です。
占守島はいわゆる“北方四島”よりもさらに北にある島で、カムチャツカ半島の先端から飛び出たようなところに位置します。
この島ではほとんど戦闘がなかったため、食糧や弾薬が終戦間際まで残されていました。
占守島には夏期にだけ稼働する缶詰工場があり、終戦時は2,000人ほどの民間人もいたといわれています。
一部の人は戦闘の合間を縫って、キスカ島同様に霧に紛れて船で脱出することに成功しましたが、1,600人前後が取り残されたようです。
しかし、ソ連にとっては軍事的価値が薄いとみなされたのか。
その後も取り残された人は移住してきたソ連人とともに漁業などに従事し、結婚する人もいたそうです。もちろん、帰国を希望した人は帰国しています。
一方、樺太では一般人の入植がかなり進んでおり、40万人以上が生活していました。
訓練された軍隊であっても、40万人が撤退するには綿密な計画と能力が必要です。
ましてや一般人の中には子供や老人も含まれています。
一人でも多く逃がすためには、軍がギリギリまで踏みとどまること。
一般人を徴用してでも武器を取れる人数を増やすことが必要でした。
また、当時のソ連は北海道をも狙っており、そのためには樺太を自国の前線基地として確保するのが良いと思われていたようです。
人口が多い=町がある=インフラと食糧・水が確保できる、ですからね。
結果、樺太各所の戦いは極めて熾烈なものとなりました。
確かに犠牲者は出たが無事に帰国できた者も多かった
NHKで【樺太の戦い】を扱った番組(2017年8月)では、樋口が悪者のようにも取れる描かれ方でした。
実際のところ、この状況ではそうとは言い切れないでしょう。
樋口が樺太や占守島を死守せよと命じたからこそ、引揚船に乗って助かった一般人もいたわけです。
樺太にいた一般人で引き上げに成功したのは10万人。
引揚船の撃沈などでソ連軍に殺害されたのは3,700人前後でした。
他に軍民合わせて28万人が数年間、樺太からの移動を禁じられましたが、昭和二十四年(1949年)夏までに数回の引揚船が出され、北海道へ引き揚げています。
もちろん、多くの犠牲が出てしまったことは悲しむべきことですし、生存者や関係者の方からすれば恐怖や悔恨や悲嘆しかないでしょうけれども、そもそも悪いのは降伏を受け入れた後に侵攻してきたソ連軍です。
旧日本軍の責任は問われるのに、相手の責任や戦争犯罪がさっぱり触れられないのはあまりに酷い話。
最近は少しずつ取り上げられるようになってきましたけれども。
奇しくも本日8月20日は、樺太で真岡郵便電信局事件(女子の電話交換手12名が自害を試みて9名が死亡)があった日でした。
真岡郵便電信局事件で散った乙女たち ソ連軍の侵攻前に集団自決
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欧米のユダヤ人のロビー活動でソ連への引き渡し拒否
樺太の戦いが終わったときに、樋口はソ連軍へ降伏しています。
樺太周辺への進攻がうまくいかなかったことを恨んでか。
極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)の際、スターリンは樋口を戦犯に指名します。
しかし、世界ユダヤ人会議の呼びかけにより、欧米のユダヤ人金融家が中心となってロビー活動が行われ、ダグラス・マッカーサーがソ連からの引き渡し要求を拒否。
樋口は戦犯として裁かれることはありませんでした。
アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンも、スターリンの「樺太と北海道の北側をよこせ」という要求をはねつけていますから、樋口の助命が目的というよりは「ソ連に出張ってこられると面倒だから」というのが理由の9割ぐらいでしょうけど。
いずれにせよ助かったことには変わりありません。
樋口は戦後、北海道で一年、宮崎で二十年ほど過ごした後、最晩年には東京に住んだようです。
その時期のことがあまり知られていないのは、彼自身が表に出たがらなかったからでしょう。
生き延びた軍人たちの戦後の動向も、またそれぞれに個性が出ていて興味深いところです。
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長月 七紀・記
【参考】
早坂隆『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎 (文春新書)』(→amazon)
別冊宝島編集部『日本の軍人100人 男たちの決断』(→amazon)
樋口季一郎/wikipedia