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【英照皇太后】
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「上は女で下は男の装いとは、あなおかしや」
また、嫁・姑の仲の良さが伺えそうなエピソードとして、こんなものもあります。
明治時代になって、女性ももっと勉学をするべきという考え方のもとに女学校が作られました。
昭憲皇太后がそのうちのひとつを視察したときのことです。
女学生というと「海老茶袴にブーツ」を思い浮かべますが、それ以前は決まった衣装というのがありませんでした。
さらに、まだまだ「女が勉学をするなんて、男勝りでけしからん」という考え方も強かったので、「それなら服装も男風にして、気合を見せてやるべし」と息巻くような人もいました。
そこで、女学生の中には男袴(腰の後ろ側に板がついてるアレ)を履いている人が珍しくなかったのです。
しかし、昭憲皇太后から見れば、「上は女で下は男の装いとは、あなおかしや」といったところ。お付きの女官たちと一緒に、笑いをこらえながら視察を終えたといいます。
余程ツボに入ったのか、昭憲皇太后は宮殿に帰ってから英照皇太后にこの話をし、二人で笑っていたのだとか。
二人とも由緒正しい公家の出身なので、笑い転げるということはなかったと思いますが、気分的にはそんな感じだったでしょうね。
とはいえ、女学生たちのほうも「おすべらかし・十二単にブーツとこうもり傘」という昭憲皇太后一行の装いに、吹き出しそうになっていたらしいですが。
お互い様ですね。
英照皇太后は当時最も重要だった「世継ぎをもうける」ことこそできませんでしたが、時代が急激に変わっていく中で、新たな役目を見出しながら楽しんで生きていたのではないでしょうか。
上記の通り、明治天皇と英照皇太后は血はつながっていないのですけれども、こうしたエピソードからすると、結構親子っぽいところがあったのではないかな、という気がしてきます。
直接顔を見て話す機会は少なくても、意外と明治宮殿の中、特に奥は朗らかな雰囲気だったのかもしれませんね。
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長月 七紀・記
【参考】
黒岩比佐子『明治のお嬢さま (角川選書)』(→amazon)
英照皇太后/Wikipedia
森戸大明神(→link)
明治神宮崇敬会(→link)