アイヌの歴史

1904年に撮影されたアイヌの人々/wikipediaより引用

ゴールデンカムイ 明治・大正・昭和

アイヌの歴史を振り返ろう~漫画『ゴールデンカムイ』で注目される北の大地

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砂金ゴールド・ラッシュとシャクシャインの戦い

徳川幕府の成立初期。

アイヌと和人の貿易は、アイヌ側が本州東北部を訪れる「城下貿易」というものでした。

交易品はアイヌ側が動物の毛皮、ワシの羽、魚、鳥。

対する和人側は米や木綿を提供します。

このカタチが逆転するのが、17世紀前半、北海道で砂金が取れると判明してからでした。

和人側が北海道へ押し寄せたのです。

狩猟採集で生きてきたアイヌの人々と、ゴールド・ラッシュに浮かれる和人たち。

両者の間に接触が増え、それに比例してトラブルも増加してゆきます。

和人はアイヌに不利な交易を行い、横暴な振る舞いをし、生活の基盤を脅かすようになったのです。

生活の基盤を乱されたアイヌたちは、ついに我慢の限界に達します。

1669年(寛文9年)。

一人の勇士・シャクシャインが立ち上がりました。

シャクシャインは、和人の船を焼き、松前藩を滅ぼし、城下貿易を復活させるのだ、とアイヌに呼びかけます。

シャクシャイン像/photo by 竹中敏洋(竹中銅器)wikipediaより引用

蜂起に手を焼いた松前藩は、幕府に援軍を依頼。

シャクシャインはじめ首長を和睦すると呼び寄せ、謀殺してしまうのです。

ただ、この蜂起に意味がなかったわけではありません。

松前藩側は、アイヌの生活圏に踏み込まないことをルールとして決めました。

以来、和人が砂金や鷹狩りのためアイヌの生活圏に傍若無人に入り込むようなことは、なくなっていったのです。

また、日本海側のアイヌは、松前藩と交渉して城下貿易の復活にこぎつけました。

戦後処理により、シャクシャインの要求はある程度かなったことにはなります。

 


クナシリ・メナシの戦い

18世紀になると、ロシアの南下が始まります。

ロシアの支配下に置かれたアイヌは、厳しい重税が課されるようになり、暮らしは一層苦しくなりました。

北海道東部の生活を苦しめたのは、飛騨屋という商人でした。

松前藩は飛騨屋に莫大な借金をするものの、返す気はありません。

代わりに北海道北部のアイヌとの交易権を与えることにしたのです。

松前藩の借金を取り戻すべく、飛騨屋によるクナシリ・メナシのアイヌ搾取が始まりました。

漁場で働かせ、薄給で酷使。アイヌ女性に暴行したり妾にしたり、ときには惨殺することすらありました。

この搾取に怒り、1789年(寛政元年)、クナシリ・メナシの若いアイヌが蜂起。

飛騨屋関係者を殺害する事件が起こりました。

若者たちはなだめられ、この蜂起は終息します。

飛騨屋は態度が悪いとして、松前藩から交易権を没収されました。

元を辿れば、悪いのは松前藩なのですが、こちらはお咎めなしでした。

また、このころとなると幕府は蝦夷地警護の必要性を考えるようになりました。

蝦夷地に人を住まわせ、ロシアに対抗する必要性を感じるようになったのです。

和人による蝦夷地探険が盛んになるのも、このころからです(以下はその一人・最上徳内のまとめ記事となります)。

最上徳内
未開の時代に8度も蝦夷地(北海道)を探検した最上徳内って何者なんだ?

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航海技術が発達し、世界が狭くなるような状況の中。

アイヌにも、その影響は厳しいカタチで及ぶようになるのです。

 


日本とロシアの狭間で

1853年(嘉永6年)の黒船来航以来、幕府は開国を迫られるようになりました。

アメリカに後れを取るなと、他の国も日本に来航します。

もちろんロシアもこの中に含まれています。

そして、それまでハッキリとは意識されていなかったことが、幕府の中で既成事実とされるようにされます。

アイヌが暮らす土地=アイヌモシリ(リは小文字)は、幕府の支配下にあるということです。

それはアイヌの人々にとって、まったく知らぬことでした。

幕藩体制が終わり明治8年(1875年)、明治新政府はロシアと「樺太千島交換条約」を結びます。

アイヌの人々が知らぬうちに、彼らの住むアイヌモシリが近代国家の枠に入れられていったのです。

サハリンに暮らすアイヌたちは、長いこと和人と結びつきが深い暮らしをしていたのに、突如、ロシア人とされてしまいました。

拒む者たちは、北海道へ移住させられました。

「せめて、故郷のサハリンが見える宗谷に暮らしたい」

彼らはそう願いますが、開拓使長官の黒田清隆は、石狩・対雁でなければ認めないと突っぱねます。

黒田清隆/wikipediaより引用

説得を任された松本十郎判官(現在の副知事)は、親しくしていたアイヌの心を裏切る辛さを記して、辞表を叩きつけました。

雁別に移住したサハリンアイヌに、さらなる悲劇が襲いかかります。

疱瘡(天然痘)で、移住した800名余りのうち、350名以上が亡くなったのです。

疱瘡は、日本でも幕末に導入された種痘により、予防が可能となっていました。

しかし、それはあくまで限られた人々のこと。

アイヌの人々は抵抗力がなく、多くの人々が犠牲になりました。

かつてアメリカ大陸の先住民は、移住者の持ち込んだ伝染病で激減しましたが、まったく同じ構造の悲劇が、アイヌの人々にも襲いかかったのです。

コロンブス/Wikipediaより引用

日本領となった北千島のアイヌも、多いに戸惑いました。

和人と関わりのなかった彼らが、突如日本国民にされたのです。しかも、彼らは強制的に色丹島に移住させられたのです。

色丹には、北千島にいたラッコや、トド、オットセイといった海獣がほとんどいませんでした。

移住を強制されたアイヌは、獲物が捕れないと、悲痛な嘆きを残したのです。

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