長い歴史の中で、確実に多くの血が混ざりあっているのですが、全土で日本語が通じることなどからそう言われるようになったのでしょう。
しかし江戸時代に明確にあった二つの「外国」――それが南の琉球と北のアイヌです。
寛文九年(1669年)10月23日、蝦夷地で松前藩(北海道松前町)と争っていたアイヌ民族の指導者・シャクシャインが騙し討ちに遭いました。
この頃の蝦夷地は非常に曖昧な立ち位置。
本格的に日本の中に組み入れられるのは明治以降の話なので、衝突もあったのです。
江戸時代初期には比較的穏やかに交易をしていたのですが……それが崩れたキッカケは、アイヌの内輪揉めでした。
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アイヌの内紛に乗じて
アイヌ民族も一枚岩ではなく、いくつかの部族に分かれていました。
このうちの二つが漁業や狩猟の権利をめぐって争い、その仲裁に松前藩が乗り出したことで、話がこじれてしまったのです。
しかも途中でアイヌのお偉いさんが病死してしまい、それが「松前藩に殺されたんだ!もう許しちゃおけねえ!」と誤解されたせいで
アイヌ
vs
松前藩
という構図ができてしまいます。
当初はアイヌ達のほうが有利でしたが、幕府から支援が来ると徐々に松前藩に形勢が傾き始めました。
理由は鉄砲です。
アイヌ達の主力は弓矢で、幕府軍は鉄砲を使っていたのですから、火力自体に大きな差がありました。
とはいえ、松前藩も交易相手がいなくなってはやっていけません。
殲滅などはせず、アイヌの各集落を孤立させて従わせることを目的とします。
自分のとこから人を出して蝦夷地で狩りや漁をさせるより、他のところにやらせて商売したほうがラクですからね。
ノウハウも現地の人のほうがわかってるでしょうし。
もう一計を案じるしかない……
ところが、肝心のシャクシャインが思い通りになりません。
後退しつつも抗戦の姿勢を崩さないのです。
松前藩としては一刻も早くケリをつけたいところなので、じれったいにも程があるところでした。
そこで一計を案じます。
「もう争うのは止めて、話し合いで解決しませんか? ボクたち、商売相手同士じゃないですか」
そう持ちかけたのです。
シャクシャインは渋ります。
が、戦いが長引いて交易ができず、生活必需品にも困り始めていた時期。
これに応じます。
アイヌ達が蜂起したのは6月ですから、松前藩とさんざん戦って火力の差も身に染みていたのでしょう。
ところが……。
改易を恐れてリーダーたちを皆殺し
和睦交渉は一旦まとまったかに見えました。
しかし、それを祝う酒宴の席でシャクシャインを始めとしたアイヌのリーダー達は皆殺されてしまうのです。
これだと「何だよ松前藩ってひでえな!」としか思えませんが、一応、彼等には彼等なりの理由もあります。
当時、蝦夷地は松前藩の管轄でしたから、そこで起きる争いは幕府に内紛とみなされました。
あまりにも長引けば、
「お前ら、自分ちのトラブルも解決できないの? クビな」
と改易を食らうリスクが高かったのです。
なんせ当時の将軍は徳川家綱です。
影の薄い四代将軍ですが、その周囲は三代・徳川家光の時代から政治を担ってきた猛者たちががっちり固めています。
不備を見逃してくれる甘さはありません。
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とはいえアイヌ達にとって、松前藩や江戸幕府の事情など、知ったこっちゃない話ですから、単にヒドイ話でしかありません。
こうして頼れるリーダーを失ったアイヌ達は、否が応でも鎮まらずをえなくなってしまったのです。
その後も松前藩は交易によって懐を潤わせるワケですが、必ずしも清廉潔白な統治ではなかったことも指摘されております。
詳細は以下の記事にお譲りします。
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長月七紀・記
【参考】
国史大辞典
シャクシャイン/wikipedia