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【版籍奉還・廃藩置県・地租改正】
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台湾出兵を機に沖縄は日本へ
琉球(沖縄)については、少々異なる経緯をたどりました。
明治政府が成立して間もない頃、琉球からお祝いの使者が来たときに「幕府もなくなったし、言葉が通じ合う仲なんだし、この際、同じ国の一員になろうぜ」(超訳)という話が持ちかけられたのが始まりです。
そしてその話がまとまりきらない頃、とある事件が起きます。
宮古島から沖縄本島への税を運ぶ船が嵐に遭い、台湾に漂着したのです。
その時点で三人溺死してしまっており、残りの六十六人が助けを求めて台湾の村に迷い込んだところ、侵略者と勘違いされて54人が殺される……という凄まじい事件でした。
12人は中国人に救助され帰国できたのですが、明治政府はこれに対する報復も兼ね、明治7年2月に台湾出兵を決めました。
そして5月中に台湾へ「今後、日本人が漂着した際は害を加えないこと」を誓わせます。
これに対し、当時台湾を支配していた清(中国)から抗議がありました。
最初のうちは折衝が行われたものの折り合いがつかず、イギリス公使の朝廷で日清互換条款が結ばれています。
この中で「琉球は日本領であり、今回の出兵は自国民保護のために行ったこと」という認識が共有されました。琉球王国内でも日本領に入るか、清領の一部になるかでしばらく揉めるのですが。
その後、業を煮やした明治政府が琉球に軍を送って威圧したり、しばし対立が起きたのですが、最終的に琉球王国を廃止し、清への朝貢も辞めさせています。
この時点で清についてもいいことはなかったでしょうが、あまり気分が良くない経緯ですね。
ちなみに清側はこの経緯に納得しておらず、日清戦争まで尾を引いています。
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地租改正とは?
まずは「租」という文字に着目しましょう。
祖先の「祖」ではありません。租庸調の「租」です。というとイメージしやすいでしょうか?
租庸調は、小学生の歴史でも古代史で必ず出て来る“税金”のことですね。
つまり地租改正とは「土地に関する税金の改正」となるわけです。
江戸幕府の収入が安定しなかった最大の原因は、米の収穫に依存していたことでした。
温暖な時代であればうまくいったかもしれませんが、地球的に寒い時代と被ってしまったという不運もあります。しばしば飢饉も起きていました。
これに対し、新政府では土地に税金をかけることにしました。
現代でもそうであるように、土地の価値は早々に変わることはありません。
よって政府の収入は安定するわけです。
もちろん地価に見合った収入を得られなければ、市民の生活も苦しくなるわけですが……これは現代も同じですね。
農民から一揆が起こり税率を緩和
土地の価値を正確に知るため、明治政府による厳しい検査が行われました。
農民たちからすれば、税が上がりかねないことなので、一揆も招いています。
想像以上に反発が大きく、改革の遅れに繋がることを危惧した政府も、当初はほんの少しだけ税率を下げることで収めました。
農民に対する融和策は思いつくのに、士族に対して同じことができなかったのは不思議なものですね。
いずれにせよ、これらの政策により明治政府の税収=財源は安定化していきます。
そして、日本は軍備や産業にお金と力を注ぐことができるようになっていったのでした。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典「版籍奉還」「廃藩置県」「琉球」「地租改正」