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【黒田清輝】
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亡くなる2~3ヶ月ほど前に見た『梅林』で絶筆
そんな感じで画業に励んでいた黒田ですが、やがて転機が訪れます。
義父が亡くなったため、爵位を継いで政界に入らなくてはならなくなったのです。
とはいえ黒田自身も1920年に貴族院議員になって四年で亡くなってしまったので、あまり政治家としての功績は残っていません。
だからこそ、黒田の名前を聞いても画家というイメージしかないのでしょうね。
黒田は亡くなる前に一度倒れていて、しばらく静養に入っていたのですが、起き上がれる間は絵のことを決して忘れませんでした。
絶筆にして最後の作品とされる「梅林」は、亡くなる2~3ヶ月ほど前に、静養先の病室から見た風景を描いたものとされているのです。
筆ではなくペインティングナイフ(平たいコテやノミ・やすりのような形をした道具)を多用していたらしく、他の絵よりも荒々しさといいますか、生への執念というか、絵に対する妄執がうかがえる気がしますね。
「遺産は美術のために使ってほしい」
本人としてはこの後、筆でもう少し描きこみを入れたかったのかもしれませんが、それは叶いませんでした。
葛飾北斎などの浮世絵と比較してみるとすぐわかります。
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黒田を含め、この時代からは人間や物体を立体的に描くのが主流になっていきます。
明治時代に入って「西洋文化サイコー! 西洋に追いつけ追い越せ!!」という風潮が強かったからで、そのために日本画や浮世絵はしばらくの間、忘れられてしまいました。
そもそも江戸時代の浮世絵は、ものによっては現代の新聞紙や雑誌などと同程度の値段しかなく、ときには陶磁器の緩衝材に使われたりしたぐらいです。
黒田は遺言で「遺産は美術のために使ってほしい」と書き残していました。
それに応じて建てられたのが、現在東京国立博物館のすぐ近くに建っている「黒田記念館」です。
入館料は無料とのことですので、トーハクや動物園の喧騒に疲れたら、こちらへ立ち寄ってみるのもいいかもしれませんね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
文化遺産オンライン(→link)
黒田記念館(→link)
黒田清輝/Wikipedia