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【令和と帰田賦】
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途中から「いい加減にせーや!」となった方。すみません。悪ノリが過ぎましたね。
でも、おわかりいただけたと思います。
とにかく漢文はもう、圧倒的に日本の隅々まで至っております。
江戸時代まで、日本人の教育は漢籍と儒教が前提としてありましたし、明治以降に西洋由来の言葉を和訳する際も漢籍を参考にしながら進めたものです。
例えば「経済」という言葉は「経世済民」の短縮形ですね。
【漢文=左翼認定】という浅い見識は控えた方がよろしいでしょう。
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「令和」は良き時代になる?
「令和」は果たして、よい元号なのか? そうでないのか?
答えは明快かつ単純です。
「まったくわからない」
元号の良し悪しは、終わって始めてわかるもの。人物の価値が墓に入ってからわかるようなもので、現時点では誰にもわかりません。
ただ、出典の時代を当たることはできます。
考察してみましょう。
張衡『帰田賦』の時代
この漢詩は、
「もう都会で政治に関わっているとストレスフルなので、田舎に戻って田んぼでも耕しますわ……」
というぼやきが元となっています。
なぜ、そうなったのか?
それは政治が腐敗しきっていたからです。
後漢といえば、あの物語で有名。そう『三国志演義』です。
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その腐敗背景として「外戚と宦官」という言葉が出てきます。
後漢・安帝から順帝の統治は、まさにこの悪いターニングポイント。それまで外戚の専横に占められていた順帝は、一代限りだった宦官の養子による相続を認めてしまったのです。
そうして出てきたのが宦官の孫にあたる曹操でもあります。
結果、宦官の専横がはびこり、政治腐敗はより深刻になります。
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そして乱世が訪れた
このまま時代がくだると、あの大乱世である『三国志』となります。
次に迎えるのは司馬懿とその子孫による晋の時代。
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これが『蘭亭序』の背景に当たりますね。
『文選』も、こうした激動の時代である魏晋南北朝に成立したもの。「桃源郷」の語源である『桃花源記』も、この時代の陶淵明がパラダイス幻想を詠み込んだものです。
ではなぜ、当時の詩人は美しい田園風景や、夢のような世界を描いたのか?
それは、あまりにも現世が厳しかったから。
現実逃避して、ありえないような夢の世界に没入するしかないほど、ストレスフルであったからなのです。
一体、何が起きていたんだ???
漢民族は滅びかけていた
それは実に漢民族の七割減という、おそろしい状況がありました。
人類史でもトップクラスの、驚異的な人口減。
今日に至るまで、漢民族全体が最悪の危機に瀕した時代でした。
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このあと、中国の歴史では漢民族以外の王朝が成立することとなり、民族は溶け合い、新たな時代を迎えます。
衣服、言語、食文化――。
さまざまなものや要素が、大陸で溶け合う時代となるのです。
漢字、漢民族。
なぜこうした言葉が「漢」を使うかと言いますと、民族がビフォー漢とアフター漢では違う。そういう認識があるのでしょう。
確かに新元号の元となった直接のエピソードは、楽しそうなものではあります。
しかし、もっと遡って後漢までたどりつくと、ちょっと別のものが見えてくるかもしれません。
★
繰り返しますように、そうした背景をして新元号の良し悪しを判断することはできません。
できるのは、この元号が終わってから。後世の判断を待つしかありません。
よりよい元号の時代を作るもの。それは由来ではなく、私たち一人一人の生き方次第でありましょう。
文:小檜山青
【参考書籍】
『国史大辞典』
野口信一『シリーズ藩物語 会津藩』(→amazon)
※追記
そんな深掘りしなくていい!
オタクじゃあるまいし『万葉集』で止めておけばいい。
もしかしたら、そう指摘される方がおられるかもしれません。
しかし、現実は現実として受け止めた方がいいものです。
◆「令和」中国で既に商標登録 | 2019/4/2(火) - Yahoo!ニュース
なぜこうなるか。
明白です。
『文選』で選ばれるほどの言葉ですから、よいイメージがあるとして、商標登録されていても当然なのでしょう。
東アジア圏では、日本以外でも人名にも使われることがあります。気になって中国史に詳しい友人と話し、自分なりの結論を出しました。
Q:どうすれば、元号の重複は避けられる?
A:ひらがなにするしかありません。「すこやか元年」、「わくわく三年」。このパターンなら、絶対に重なりません