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漢文否定は日本史否定「令和」の元ネタ『帰田賦』から考える違和感

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令和と帰田賦
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・「郷中教育」を受けた薩摩藩士

テキストが漢籍ばかり。

幼少の頃から凄まじい刷り込みでチェスト極左!

新政府に薩摩藩を入れると危険だぞ!

郷中教育
西郷や大久保を育てた郷中教育~泣こかい飛ぼかい泣こよかひっ飛べ!

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・その他、教育を受けた武士(近藤勇含める)

漢文で心を語るとは、これぞ左翼の証。

鬼の副長・歳三がオシャレに俳句を楽しんでいた~今ならインスタ派?

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近藤勇
近藤勇が新選組で成し遂げたかったこと 関羽に憧れ「誠」を掲げた35年

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・山縣有朋

「このまま西洋の価値観に流されてはいかん」
儒教的価値観を『教育勅語』に反映させる。

自身がまさかの左翼!

山県有朋
松陰の影響で狂介と名乗った山県有朋~西郷を慕い滅ぼした生涯85年

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教育勅語
教育勅語には何が書かれていた? 軍国主義に悪用された教育の指針

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途中から「いい加減にせーや!」となった方。すみません。悪ノリが過ぎましたね。

でも、おわかりいただけたと思います。

とにかく漢文はもう、圧倒的に日本の隅々まで至っております。

江戸時代まで、日本人の教育は漢籍と儒教が前提としてありましたし、明治以降に西洋由来の言葉を和訳する際も漢籍を参考にしながら進めたものです。

例えば「経済」という言葉は「経世済民」の短縮形ですね。

【漢文=左翼認定】という浅い見識は控えた方がよろしいでしょう。

小林一三
渋沢に負けぬ西の実業王・小林一三~宝塚も成功させた84年の生涯とは

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渋沢栄一
史実の渋沢栄一にはどんな功績があった? 青天を衝け主人公の生涯

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「令和」は良き時代になる?

「令和」は果たして、よい元号なのか? そうでないのか?

答えは明快かつ単純です。

「まったくわからない」

元号の良し悪しは、終わって始めてわかるもの。人物の価値が墓に入ってからわかるようなもので、現時点では誰にもわかりません。

ただ、出典の時代を当たることはできます。

考察してみましょう。

 

張衡『帰田賦』の時代

この漢詩は、
「もう都会で政治に関わっているとストレスフルなので、田舎に戻って田んぼでも耕しますわ……」
というぼやきが元となっています。

なぜ、そうなったのか?

それは政治が腐敗しきっていたからです。

後漢といえば、あの物語で有名。そう『三国志演義』です。

三国志演義
『三国志演義』は正史『三国志』と何が違う 呂布は中国で美男子?

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その腐敗背景として「外戚と宦官」という言葉が出てきます。

後漢・安帝から順帝の統治は、まさにこの悪いターニングポイント。それまで外戚の専横に占められていた順帝は、一代限りだった宦官の養子による相続を認めてしまったのです。

そうして出てきたのが宦官の孫にあたる曹操でもあります。

結果、宦官の専横がはびこり、政治腐敗はより深刻になります。

十常侍や梁冀らに食い潰された後漢の悲劇~だから宦官や外戚は嫌われる

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そして乱世が訪れた

このまま時代がくだると、あの大乱世である『三国志』となります。

次に迎えるのは司馬懿とその子孫による晋の時代。

 

司馬懿
ボケ老人のフリして魏を滅ぼした司馬懿~諸葛亮のライバルは演技派

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これが『蘭亭序』の背景に当たりますね。

『文選』も、こうした激動の時代である魏晋南北朝に成立したもの。「桃源郷」の語源である『桃花源記』も、この時代の陶淵明がパラダイス幻想を詠み込んだものです。

ではなぜ、当時の詩人は美しい田園風景や、夢のような世界を描いたのか?

それは、あまりにも現世が厳しかったから。

現実逃避して、ありえないような夢の世界に没入するしかないほど、ストレスフルであったからなのです。

一体、何が起きていたんだ???

 

漢民族は滅びかけていた

それは実に漢民族の七割減という、おそろしい状況がありました。

人類史でもトップクラスの、驚異的な人口減。

今日に至るまで、漢民族全体が最悪の危機に瀕した時代でした。

三国志時代の大量死
『三国志』時代は人が死にすぎ 人口激減で漢民族は滅亡危機だった?

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このあと、中国の歴史では漢民族以外の王朝が成立することとなり、民族は溶け合い、新たな時代を迎えます。

衣服、言語、食文化――。

さまざまなものや要素が、大陸で溶け合う時代となるのです。

漢字、漢民族。

なぜこうした言葉が「漢」を使うかと言いますと、民族がビフォー漢とアフター漢では違う。そういう認識があるのでしょう。

確かに新元号の元となった直接のエピソードは、楽しそうなものではあります。

しかし、もっと遡って後漢までたどりつくと、ちょっと別のものが見えてくるかもしれません。

繰り返しますように、そうした背景をして新元号の良し悪しを判断することはできません。

できるのは、この元号が終わってから。後世の判断を待つしかありません。

よりよい元号の時代を作るもの。それは由来ではなく、私たち一人一人の生き方次第でありましょう。

文:小檜山青

【参考書籍】
国史大辞典
野口信一『シリーズ藩物語 会津藩』(→amazon

※追記

そんな深掘りしなくていい!
オタクじゃあるまいし『万葉集』で止めておけばいい。

もしかしたら、そう指摘される方がおられるかもしれません。

しかし、現実は現実として受け止めた方がいいものです。

◆‪「令和」中国で既に商標登録 | 2019/4/2(火) - Yahoo!ニュース 

なぜこうなるか。
明白です。

『文選』で選ばれるほどの言葉ですから、よいイメージがあるとして、商標登録されていても当然なのでしょう。

東アジア圏では、日本以外でも人名にも使われることがあります。気になって中国史に詳しい友人と話し、自分なりの結論を出しました。

Q:どうすれば、元号の重複は避けられる?
A:ひらがなにするしかありません。「すこやか元年」、「わくわく三年」。このパターンなら、絶対に重なりません

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