戦国大名にとって何より大切なのが「血縁」。
今日の味方は明日の敵――コロコロと情勢が変わる仲で信じられそうな仲間と言えば自分の血を分けた子や孫でした。
ゆえに武田信玄は娘を北条氏政に、北条氏康は娘を今川氏真に、今川義元は娘を武田義信に嫁がせ、強固な【甲相駿三国同盟】を構築しておりましたね(後に崩壊するけど)。
武田信玄は本当に戦国最強の大名と言えるのか 戦歴や人物像に迫る53年の生涯
続きを見る
北条氏康は信玄や謙信と渡りあった名将也~関東を制した相模の獅子 57年の生涯
続きを見る
戦国大名・今川義元 “海道一の弓取り”と呼ばれる名門 武士の実力とは?
続きを見る
では、織田家の場合はどうだったか?
もちろん織田信長も、自身の血縁を主に国衆に嫁がせるだけでなく、家臣同士の結びつきを強化するため家内での婚姻も積極的に推し進めております。
それは信長自身を滅ぼした明智光秀も例外ではなく……戦国ブギウギ53話、スタート!
初孫
◆こちらのお孫さんは「三法師」で知られる織田秀信さんですね。
三法師こと織田秀信は信長の嫡孫で跡継ぎ~運命の「清州会議」後はどう生きた?
続きを見る
【清州会議】で豊臣秀吉に担がれ、織田家の跡取りとされた人物ですね。
父は、信長の正式な後継者・織田信忠さんでした。
信長の跡を継いだ織田信忠 なぜ本能寺の変で自害に追い込まれた? 26年の儚き生涯
続きを見る
なお、その母は信忠の正室ではありません。
一説には武田信玄の娘・松姫との婚約(後に破棄)から、純愛を突き通した――なんて見方もされたりしますね。
信長嫡男と信玄娘の切ない『恋文物語』信忠から松姫へ~信長公記118話
続きを見る
千世
◆伊達の久保姫は伊達晴宗との間に11人(六男五女)に恵まれました。政宗の祖母です。
伊達家は非常に多産で、曾祖父にあたる伊達稙宗も「14男7女」という大所帯。ほとんど子宝に恵まれなかった豊臣秀吉あたりからすれば非常に羨ましい状況ですが、伊達家は伊達家で東北中が親戚となり、その中で政宗がトンガリ過ぎて色々と大変なことになります。
政宗の曾祖父・伊達稙宗がカオス!天文の乱を誘発して東北エリアを戦乱へ
続きを見る
なお、前田利家の妻まつも12歳(しかも数え)で結婚して11人の子を産んでます。
利家の「野望」かなって戦国多産レコードタイですね。
ただし、性別で見ると男子は2人だけで、あとはなぜか女ばかり。そのうちの一人が秀吉の養女となり、イケメン代表・宇喜多秀家さんに嫁いでいった豪姫ですね。
利家の娘で秀吉の養女~プリンセス豪姫が宇喜多秀家とドラマのような生涯を送る
続きを見る
ちなみに利家は、側室との間にも男児を残しております。
例えば加賀藩二代藩主となった前田利常の母は側室・福寿院。まつの侍女という中々のシチュエーションです。
※続きは【次のページへ】をclick!