祖父の天武天皇/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安

淡路廃帝こと淳仁天皇に何があった? 藤原氏や孝謙上皇と揉めたその末に

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
淳仁天皇(淡路廃帝)
をクリックお願いします。

 

淡路島での警備が厳しくなった直後に亡くなっている!?

孝謙上皇からすれば

「アイツを放っておくとそのうちまた担ぎ上げられるかもしれない」

と警戒したくなるような状況だったことでしょう。

結果、淡路島の警備が厳しくなり、同年10月に淳仁天皇は亡くなってしまいます。

今より寿命が短いとはいえ、この流れで当時まだ32歳の淳仁天皇に何が起きたのか……想像に難くはありませんよね。

淳仁天皇 淡路陵/photo by Saigen Jiro wikipediaより引用

こういった経緯により、淳仁天皇は「淡路廃帝」と呼ばれるようになり、長い間「天皇」として認められませんでした。

正式に名誉が回復されたのは、何と明治三年(1870年)のこと。

他の流罪や廃位された天皇とともに、明治天皇によって正式に歴代天皇の一人として扱われるようになったのです。

今でも、資料によっては「淳仁天皇(淡路廃帝)」というような書き方をされていることがありますね。

ちなみに、淳仁天皇が廃された後は孝謙上皇が重祚して称徳天皇になっています。

ついでに、流罪の話も少しだけ触れておきましょう。

 

流罪と追放の違いは?

淳仁天皇の場合は廃位された後も一応「親王」=皇族の一員として扱われていたので、淡路島での生活はさほど悪くなかったと思われます。

が、流刑とは元々「本来なら死罪だけど命だけは許してやんよ」(※イメージです)=「死刑から減刑したもの」という扱いだったので、基本的に罪人の生活の保障はありませんでした。

江戸幕府の四代将軍・徳川家綱が少年の頃、「流罪にした者は何を食べているのか」と聞いたとき誰も答えられず、「命を助けたのに、食事の保証さえなければ見殺しにするも同然ではないか」とツッコミを入れ、それを聞いていた徳川家光が大喜びしたという話が有名ですね。

徳川家綱って実はメンタルイケメン将軍? 地味なれど好感度エピソード満載

続きを見る

場合によっては配流先に送られる途中でブッコロされたり、あるいは逆に赦免されて地元に戻れることもあったそうなので、まさに天国と地獄という感があります。

パッと見よく似ている、「流罪」と「追放」の違いは「特定の場所に押し込めるかどうか」という点のようです。

現代で例えるとすれば、「流罪が禁錮」で「追放が出禁」みたいな感じでしょうか。

だいぶ罪の重さが違いますが、まぁイメージということで。

現代の拘置所や刑務所もいろいろ黒い話がありますけども、(たぶん)飢えることはないだけまだマシなんですかね。

罪を犯さないのが一番ですけれども。

あわせて読みたい関連記事

謎多き「壬申の乱」をわかりやすく! なぜ大海人皇子は大友皇子を追い込んだ?

続きを見る

徳川家綱って実はメンタルイケメン将軍? 地味なれど好感度エピソード満載

続きを見る

まんが日本史ブギウギ21話 藤原仲麻呂がスーパーキゾク・恵美押勝に変身

続きを見る

孝謙天皇(称徳天皇)の珍妙ネーミング攻撃!政敵は改名で凹ませて

続きを見る

日本三悪人筆頭の道鏡!称徳天皇に愛されたマグナム僧侶は何をした?

続きを見る

まんが日本史ブギウギ22話 恵美押勝、乱るるとき、勇者・坂上苅田麻呂、現る!

続きを見る

承久の乱をスッキリ解説! 実は日本史を揺るがした朝廷vs幕府のガチバトル

続きを見る

後鳥羽上皇(後鳥羽天皇)は知られざる武闘派! 菊の御紋を使い幕府と戦うも

続きを見る

父ちゃんとノリノリ討幕計画! 順徳天皇は乱後にどうなったのか?

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
淳仁天皇/Wikipedia
流罪/Wikipedia
日本における追放刑/Wikipedia

TOPページへ

 



-飛鳥・奈良・平安
-,

© 2021 BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)