藤原純友の乱

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海賊と共に暴れ回った藤原純友の乱~なぜ貴族が瀬戸内海で略奪行為?

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国司・紀淑人に懐柔され、それが効いたのもほんの数ヶ月。

同年(939年)12月には、摂津国須岐駅で、今度は備前介・藤原子高を襲撃しています。

東国でも乱が起きていた上、瀬戸内海や摂津は京都から近距離ですから、当然、朝廷は大いに焦りました。

あらゆる寺社に賊徒平定の祈願をさせながら、京都市中の警備を強める中央政府。こういうとき真っ先にお祈りを始めるあたりが、まさに古代という感じがしますね。

といっても、幕末に黒船が来たときも朝廷では祈祷をしていましたので、「ずっと変わっていない」というほうが正しいかもしれません。

 

朝廷は位階を授けて懐柔をはかる

朝廷は、天慶三年(940年)2月に藤原純友に従五位下の位を授けて懐柔を図りました。

が、これは決して高い身分ではありません。

藤原北家出身の純友からすれば、「今さら若造と同じような官位をもらっても嬉しくもなんともないわ! ナメてんのか!!」と感じたのかもしれません。

従五位下が、どのぐらいのランクなのか。

以下に詳しく説明がございますので、ご参照ください(知っておくと、日本史全般が楽しくなります)。

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純友は、引き続き各所の国府などを襲い、略奪を繰り返しました。

襲撃した場所は、東は淡路島や紀伊、西は太宰府、南は土佐というかなりの広範囲に渡ります。

その航海技術を活かして唐や朝鮮との貿易でもすれば、もっと資産を増やせて、朝廷から睨まれるようなこともなかったんでは?

同時にフシギに思いませんか。

藤原純友に、国家転覆するというような目的意識は感じられません。大志もなさそう。

つまり、調子に乗って暴れまわって、なんだか自暴自棄にも見えてきます。

いくら中央で出世できないからって、それはあまりに短絡的ではないか?と。

しかし、です。

ここで我々は大きな思い違いをしている可能性があります。

そもそも朝廷が本気になったら、藤原純友ごとき落ちぶれ貴族など簡単に押さえられる――という考え方自体が誤りで、朝廷にそんな力がないからこそ、純友も暴れ回ったのではないか? ということです。

実際、全国でそんな例が多発しておりました。大きな事件とならずウヤムヤのまま終わった例も多々ある。

そんな調子でしたら、そりゃあ純友だって好き勝手暴れ回るでしょう。

彼の場合、たまたま事件が鎮圧され、藤原道長と同じ藤原北家の出身ということで、現代人にとって注目度が高いのかもしれません。

 

なぜ反乱を起こしたのか 今なおミステリー

さすがに朝廷でも、叙任(従五位下を与えた)だけでうまくいくとは思っていなかったようです。

小野好古(おの の よしふる)を山陽道の追捕使に任じ、討伐の準備を進めました。

また、この間に将門の乱が鎮圧できたため、朝廷は藤原純友の討伐に全力を挙げることができるようになり、播磨や讃岐に命じて船を造らせています。

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藤原純友たちも決して一枚岩ではなかったようです。

天慶四年(941年)二月、純友の副官・藤原恒利が討伐軍の手引きをし、伊予にあった純友の本拠地が攻められました。

純友は一時逃げ延びたものの、同年五月に大宰府を襲って放火・掠奪をしています。

ここで逃げれば生き残れたかもしれません。

当時は貴族出身者の刑罰が軽減されるという特殊事情もありました。

が、そうはならず征西大将軍として藤原忠文が任じられます。

実際は、彼より早く小野好古らが陸海から大宰府に向かい、5月20日に博多津で純友軍の船800を奪い、数百人を死傷させました。

このときも純友自身は伊予まで逃げ去ったものの、天慶4年(941年)6月20日に警固使・橘遠保に討たれます。

残党もその年のうちに駆逐され、乱は収束しました。

将門のようなおどろおどろしい逸話がないせいでしょうか。

藤原純友の乱についてはあっさり流されがちですが、こうしてみるとなかなかにミステリーというか、謎の多い反乱といえます。

長らく続く地方の荒廃で多くの強盗沙汰が起きていて、それが象徴的に表面化した事件。

そんな風に見えますが、皆さんはどう思われます?

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「藤原純友」「承平・天慶の乱」
桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす――混血する古代、創発される中世 (ちくま新書)』(→amazon

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