こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【光孝天皇】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
百人一首15番に採用
光孝天皇の親王時代に詠んだ
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」
という歌は、もしかすると本当にお手ずから若菜を摘まなくてはいけないほど生活が苦しかったことの表れなのかもしれません。さすがにないか。
若菜摘みは新しい草の力=生命力にあやかるという意味があるので、験かつぎにご自身でやった可能性もなくはないですけども。
この歌は百人一首15番にも採られていますし、天皇の御製にしては言葉遣いや技巧も少なく、そのままでもわかりやすいのでご記憶の方も多そうですね。
かるただと50番の
「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」
と混同しやすいので、ある意味恨まれている歌でもありますがね。
「君がため」の後が「は」か「お」かでわかりますが、よく知られた手なのでそれでも負けるときは負けますし。
和琴や乗馬、弓もお得意
歌の他にも和琴や乗馬、弓がお得意だったようで。
一度途絶えていた鷹狩りを復活させたりもしています。
鷹狩は、野山を歩き回り、イメージよりもずっとタフなスポーツですので、即位時のお年を考えると本当に元気なお方ですね。
信長も家康も世界も熱中した鷹狩の歴史~日本最古の記録は仁徳天皇時代だった
続きを見る
どうでもいいですが、容姿も「閑雅」=しとやかで優雅である、と記録されているので「地味系だけどよく見たらイケメン」みたいな感じだったのかもしれません。
人柄の良さや教養がにじみ出たものでしょうか。
今で言えばナイスミドルか”ロマンスグレーの紳士”かそのあたりですかね。
伊能忠敬などもそうですが、この”50代半ば”というのは、何か新しいことをやるのに良い時期なのかもしれません。
伊能忠敬の大日本沿海輿地全図には英国人も驚嘆 作り始めも驚き56才
続きを見る
特に現代人であれば、まだまだ体力があるでしょうし、それでいて経験は豊かで分別もある頃合ですからね。
あわせて読みたい関連記事
上皇生活65年間~陽成天皇が不遇だったのは基経に陥れられたせい?
続きを見る
皇位皇族と関わる「臣籍降下」とは?姓がある=皇族ではないの原則
続きを見る
宇多天皇は臣籍降下しながら即位した唯一の天皇~なぜそんな事態を迎えた?
続きを見る
藤原基経は「阿衡事件&応天門の変」で何を得た?藤原無双で剛腕炸裂
続きを見る
肥後の鳳凰・細川重賢の手腕が凄い~神をも恐れぬ合理主義者が藩財政を建て直す
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon)
山本博文『ビジュアル百科 写真と図解でわかる! 天皇〈125代〉の歴史』(→amazon)
光孝天皇/wikipedia