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【皇后・中宮・女御・御息所・更衣・女院の違い】
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◆女御(にょうご)
平安時代に生まれた后妃の名前の一つで、最初は四位・五位などの低い身分とみなされていましたが、時代が進むと三位の女御もみられました。
さらに摂関家の姫が女御になることが定着してからは、その中から皇后を選ぶ慣習ができます。
『源氏物語』の最初の話・桐壺の巻冒頭にこんな一文があります。
いづれのおほん時にか、女御・更衣あまたさぶらひたまひける中に
【意訳】どの帝の御代であったか、女御や更衣が大勢いる中で
この部分から、女御には定員がなく、複数が同時に存在するケースも珍しくなかったことがわかりますね。
なお、女御や更衣の場合、住んでいる建物の名称から「弘徽殿(こきでん)の女御」や「承香殿(しょうきょうでん)の女御」などと呼ばれました。
弘徽殿は天皇の住まいである清涼殿に最も近いため、皇后の第一候補とも呼べる立場の女御が入っていたようです。
余談ですが、源氏物語における「弘徽殿の女御」は二人います。
一人は光源氏の兄・朱雀帝の母でキツイ感じの女性、もう一人は前者の姪にあたる頭の中将の娘です。
どちらも物語の中ではやや不遇な立場で、前者はもっと遠い桐壺に住んでいた光源氏の母・桐壺の更衣に帝の寵愛を奪われ、後者は冷泉帝の皇后の座を巡って光源氏の養女・梅壺の女御(=秋好中宮)と対立し、敗れています。
こういった細かいところに、紫式部の絶妙なさじ加減がうかがえますね。
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また、本人の住まいではなく、父親の屋敷がある場所の名を取って「堀川の女御」「高倉の女御」などと呼ぶ場合もありました。
中宮とともに女御の名も明治維新で廃止されたため、やはり現代では使われていません。
◆御息所(みやすどころ)
后妃の中では意味が幅広い言葉で、元々は天皇が休息する場所のことでした。
そこから転じて、天皇の御寝所に侍る女性のことを指すようになります。
さらに、皇子・皇女を産んだ女御・更衣を指す場合もみられます。これは、源氏物語の六条の御息所などがわかりやすいかと。
さらにさらに……天皇の生母を「大御息所」と呼んだり、皇太子妃・親王の妃を御息所ということもあるので、「御息所」が出てきたら、血縁関係をおさらいするのが良いでしょうね。
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