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【清涼殿落雷事件】
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そして雷は清涼殿に落ちた
清涼殿とは、御所の中で天皇が政務を執る建物のこと。
御所の中枢ともいえる場所ですから、その日も多くの文官・武官がそれぞれの仕事をしていました。
この年はひどい干ばつだったため、主な議題は「雨乞いの儀式をするかどうか」。
ところが、午後になって突如大雨が振り出し、雷も鳴り出します。
普通なら「これで儀式をしなくても大丈夫だろう」と安堵できるところですが、この日の雷雨は異常なものでした。
なんと清涼殿の柱に雷が落ち、すぐそばにいた貴族と警護の武士数名が感電で亡くなってしまったのです。
御所、しかも天皇がリアルタイムでいる場所に雷が落ちただけでも、当時の価値観では不吉の極み。
しかも死人が出ているのですから、醍醐天皇の衝撃は計り知れません。
一説には、雷が落ちた被害者を直視してしまったとか……って、そりゃ気分も悪くなりますよね。被害者にはお気の毒どころではありませんけれども。
被害者の貴族の一人である藤原清貫という人が以前道真の監視役をしていたこともあり、この事件はたちまち「やっぱり道真の祟りじゃん!」と噂されるようになり、醍醐天皇はその後、体調が回復することなく、三ヶ月後に亡くなったといわれています。
現実的に考えればPTSDで睡眠障害や摂食障害になった末に……というところでしょうか。
皇室でワースト5に入る悲惨な最期といえましょう。
あまりにも後味が悪いので、もう少し前向きな話で〆ますね。
醍醐は食べ物 牛乳を熟酥して作られる
「◯◯天皇」というのは死後のお名前です。
存命中は「今上」や「お上」と呼ぶのが天皇の話をするときのセオリーにな、◯◯の部分には、できるだけ良い意味の字を選んでつけることになっています。
では「醍醐」とは、いったい何のことか?
実はこれ、食べ物の名前です。
お経の一種である涅槃経(ねはんきょう)に
「牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生蘇(しょうそ)を出し、生蘇より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す、醍醐は最上なり」
とあります。
つまり、牛乳を少しずつ精製していって、一番最後にできるのが「醍醐」です。
詳しい作り方は散逸してしまっているため、現在でははっきりわかりませんが、精製を重ねているわけですから、「量産はできないがとんでもなく美味しいもの」だろう、というのは想像がつきますよね。
当時の人も「う、うまい!(テーレッテレー♪)」と思っていたらしく、ここから「醍醐味」という言葉ができたといわれています。
また、涅槃経では「醍醐を作るのと同じように、お経も少しずつ改良されてきたんだよ。人を育てるのも同じだよ」(超訳)と続きます。
欲を慎むイメージが強い仏教で、食べ物を使った例えが出てくるのは何となく意外ですね。
そんなわけで「醍醐」という言葉は食べ物であり仏教用語でもあり、お寺の名前にもついています。
醍醐天皇が葬られたのも、京都の醍醐寺というお寺の近く。
ここは天皇が直々にお祈りをする「勅願寺」でしたので、諡号に選ばれた直接の理由はこっちでしょうね。
とはいえ、元の意味は食べ物であることは変わりないですし、食べ物の名前がついた君主というのもかなり珍しいですね。
後醍醐天皇は……うん(´・ω・`)
醍醐寺は、これより670年ほど経った頃、豊臣秀吉が醍醐の花見をした場所でもあります。
秀吉主催・醍醐の花見から振り返る〜みんな大好きお花見はいつから?
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もしかしたら醍醐天皇も、どこかから毎年桜を眺めているのかもしれません。
梅を愛でた道真と、あの世で和解できているといいのですが。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon)
醍醐天皇/wikipedia
延喜の治/wikipedia