建久3年(1192年)3月13日は後白河法皇の命日。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では西田敏行さんの老獪な姿がお見事でしたが、今回注目したいのは、その隣にいて法皇の政治をフォローしていた女性です。
鈴木京香さんが演じていた丹後局(たんごのつぼね)――彼女に対して皆さんは、どんな印象をお持ちになられたでしょう?
『只者ではなさそうだぞ……』と感じられたか、あるいは『コイツは悪女枠か』と眉をひそめられたか。
彼女は、古風な言い方をすれば“毒婦”であり、男や世の中を惑わす女性として扱われがちです。
しかし、実際はそうとも言い切れません。
なぜなら彼女は、近い時代の別人と混同されやすく、当人とは無関係の悪事まで是非を問われたりするのです。
では一体、誰と間違われるのか?
まずは丹後局にありがちな“混同”を確認してから、その生涯を振り返ってみましょう。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
毒婦の評価は別人の混同から?
丹後局と混同される別の女性とは?
まず一人目がコチラの方。
◆丹波局
ひらがなや耳で確認すればまだしも、漢字で見たらかなり誤読しそうですよね。
丹後局(たんごのつぼね)
と
丹波局(たんばのつぼね)
しかも二人とも、後白河法皇(※本稿では法皇表記で統一)の寵姫なのですから、ややこしいことこの上ない。
丹波局は江口遊女の出とされています。
後鳥羽天皇の即位をもたらした夢占いも彼女が行ったとされ、
「身分の卑しい女が政局に口を出すとはけしからん!」
というイメージもあって悪く言われました。
実際、この二人は当時から混同されるほどです。
しかも後鳥羽上皇の院政時代にも、丹後局と丹波局という別の女性がいます。
もう名前を変えてくれよ、というレベルですが、さらに本稿主人公の丹後局と混同される女性がもう一人います。
それが
です。
『鎌倉殿の13人』では初回から源頼朝の側に安達盛長(演:野添義弘さん)がいましたよね。
※以下は安達盛長の関連記事となります
疑り深い頼朝に信用された忠臣・安達盛長~鎌倉幕府でどんな役割を担っていた?
続きを見る
この盛長の妻が、比企尼(演:草笛光子さん)の娘で丹後内侍、別名を丹後局と言います。また、出ました丹後局……。
そんな丹後内侍には、源頼朝と関係を持っていたという説があります。
ドラマの中でかいがいしく動き回っていた安達盛長を思い出すと、なんとも嫌になる関係ですが、実際は
・島津忠久が「頼朝の子である」と持ち上げたいがための創作説
が有力です。
島津忠久は薩摩の雄・島津家の祖であるため、話が盛られてしまった可能性が高いんですね。
島津氏の初代・島津忠久が薩摩に屈強な武家を築く~実母は源頼朝の乳兄弟だった
続きを見る
いずれにせよ本稿で取り扱う丹後局は、名前から混同される要素が多々あり、色眼鏡で描かれがちだったりしました。
それを取り除き、史実面から彼女を追ってみましょう。
ちなみに……『鎌倉殿の13人』で比企尼を演じる草笛光子さんは、1979年大河ドラマ『草燃える』において丹後局(本稿の主人公である丹後局)を演じています。
余計にややこしくさせてスミマセン。
夫・平業房を平家に殺されて
丹後局は本名を高階栄子(たかしなのえいし)と言い、生年は不明。
父は、延暦寺の法印澄雲(ちょううん)あるいは上座章尋(しょうじん)とされます。
彼女が後に後白河法皇の寵姫となると「下賤な身分の出」であると陰口を叩かれました。
前述した丹波局(遊女の出)との混同もあるとはいえ、実際に丹後局も身分の高い出自ではなかったのでしょう。
後白河法皇はどこまで老獪な政治家か?頼朝に「日本一の大天狗」と称された生涯
続きを見る
彼女の前半生はささやかなものでした。
後白河法皇の北面に仕えていた武士・平業房(たいら の なりふさ)の妻であり、二男三女の母。
この夫・業房が、後白河法皇の目に止まります。
きっかけは今様でした。
今様とは、七五調で歌詞をつける当時の流行歌であり、後白河法皇が喉を痛めるほど楽しんだとされる遊びです。
遊び方もハンパじゃない後白河法皇~血を吐くほど今様を愛し金銀でボケる
続きを見る
業房は後白河法皇にかなり気に入られていたようで、治承元年(1177年)【鹿ヶ谷の政変】により解任されたものの、復帰を果たしています。
当時、このことは相当驚かれました。背後に後白河法皇の寵愛がなければ考えられないことだからです。
しかし、二度目はありませんでした。
【治承三年の政変】(1179年)で解官されると伊豆へ配流となり、しかも、途中で囚われの身となって平宗盛の元へ送られ、拷問の末に惨殺されたのです。
平宗盛(清盛の三男)は平家を滅ぼした愚将か『平家物語』でもボロクソに書かれて
続きを見る
【治承三年の政変】とは、平清盛によるクーデター。
後白河法皇の院政が終了させられ、後鳥羽殿に幽閉されてしまいました。
なぜ平清盛は平家の栄華を極めながらすぐに衰退させてしまったのか
続きを見る
このとき、後白河法皇の側に侍り、寵愛と信頼を得たのが丹後局です。
夫が寵愛を受けた主人に接近し、自らも寵愛を受ける。
命まで落とした夫からすればどうなの?
そんなモヤモヤを感じたとすれば、後世の道徳感ゆえかもしれません。
貞女は二夫に見えず。
貞節を守る女性は、二人の夫に嫁がない。
こうした儒教概念が、当時の彼女にあてはまるかどうか。
道徳概念が希薄だったのか。
法皇の力を利用してでも夫の復讐を果たしたかったのか。
いずれにせよ彼女は、反平家のため策を練る後白河法皇の隣に侍ることとなったのです。
※続きは【次のページへ】をclick!