九条兼実

九条兼実/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

九条兼実は道長の子孫で鎌倉時代でもエリート貴族だが~平家や後白河や源氏に翻弄され

建永2年(1207年)4月5日は鎌倉時代の貴族・九条兼実(かねざね)が亡くなった日です。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、ココリコの田中さんが演じていたのを覚えている方もいらっしゃるでしょうか。

出自だけ見れば、藤原道長から連なる摂関家のトップ貴族であり、いわばエリート中のエリート。

学識にあふれ、帝王学を熟知し、日本トップクラスの官僚として歩んでいます。

しかし彼は、生まれた時代があまりに悪かった。

道長から数えて七代目となる世代であり、

①藤原道長

②頼通

③師実

④師通

⑤忠実

⑥忠通

⑦九条兼実

幼くして【保元の乱】を見ると、程なくして平家が頂点に立ち、そして貴族は転落、代わって源頼朝が台頭する姿と直面することとなりました。

後白河法皇に振り回され、武士の姿を讃え、膨大な記録を残した九条兼実。

一体どんな生涯を過ごしたのか。振り返ってみましょう。

 


藤原摂関家に生まれる

2024年大河ドラマは紫式部を主人公とした『光る君へ』が現在放送中です。

藤原道長が権力を握っていた藤原氏の最盛期が舞台であり、そこから七代も時代が降ると、満月に例えられた彼等の権力も落ち込んでいきます。

譲位した上皇や法皇も権力を握る「院政」の台頭により、

天皇か?

上皇か?

という分権構造が出現すると、摂関家も引きずられて割れてしまい、宗教勢力や武士も権力を持ち始めるようになりました。

久安5年(1149年)――九条兼実は、そんな摂関家にヒビが入った時代に生まれました。

彼の父は藤原忠通です。

兼実はその六男であり、母・加賀は女房に過ぎない立場。

父と母は親子ほども歳が離れていて、忠通と兼実も、親子というより祖父と孫ほどの年齢差でした。

それでも4人の男子を産んだ母の加賀は、兼実8歳のときに亡くなってしまいます。

すると彼は異母姉である聖子の猶子とされました。

姉といっても親子ほどの年齢差があったのです。

兼実は、この姉を慕いながら生きてゆきました。

 


摂関家をゆるがす保元の乱

藤原忠通は、なかなか複雑な家庭を築いていました。

正室・宗子との間で成人まで育ったのは女子である聖子だけ。

他の女性との間に男子は多数いましたが、母の身分や正室の宗子を憚ってか、出家してしまうことが多く、なかなか摂関家を継ぐ正嫡が決まりませんでした。

忠通も次第に歳を取ってくる。

そうなると忠通の子ではなく、忠通と親子ほども歳の離れた弟・藤原頼長が後継者として浮上してきました。

家を存続させるためには仕方のない話でしょう。

しかし、得てしてこういうタイミングで事態が動くから相続問題は難しく……。

康治2年(1143年)、忠通に待望の男子・藤原基実が生まれるのです。

こうなれば弟である頼長の後継者路線は変更となりますが、頼長にしてみればフザけんな!という話で、父・忠実と共に忠通排斥を企て、兄弟の中は決裂。

結果、弟・頼長が“日本一の大学生”あるいは“悪左府”と称されるほど強烈な知性を駆使し、藤原氏の頂点に立つのでした。

しかし、鳥羽天皇が崩御すると、朝廷内で決定的な対立が生じます。

【保元の乱】です。

崇徳か?後白河か?

朝廷を真っ二つに分けたこの争いで頼長は崇徳につきました。

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結果は、平清盛源義朝を擁した後白河の勝利。

保元元年(1156年)――この敗戦の中、頼長は頭部に受けた矢傷が元となり命を落としました。

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そんな最中、忠通が頼長に代わり、藤原氏の氏長者になる宣旨が発せられています。

忠通は喜ぶどころか、複雑な心境でした。

本来、氏長者とは藤原氏自身が決めることであり、よそから命じられるものではありません。時代の移り変わりが既に始まっていたのです。

翌保元2年(1157年)、兼実、当時9歳。

着袴の儀を済ませて昇殿を果たすと、さらに翌年の保元3年(1158年)、父・忠通が関白を辞し、16歳の兄・基実にその座を譲りました。

このとき帝は17歳の二条天皇(後白河の子)。

未曾有の乱を経て、若い政治が動き出していたのです。

藤原家の公卿として、兼実は兄を支えるべく学問の研鑽を積みます。

そして長寛2年(1164年)に16歳で内大臣となり、仁安元年(1166年)には18歳での右大臣に昇進を果たしました。

しかし兼実が右大臣となったこの年、兄・基実は24歳という若さで亡くなってしまいます。

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