式子内親王

式子内親王※新撰百人一首より(明治16年)/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

式子内親王と藤原定家の関係~恋をせずとも恋を詠むのがプロ歌人

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藤原定家の淡い初恋だったのでは?

しかし、式子内親王の場合は「もしかするとガチなんじゃ?」ともいわれています。

百人一首の選者・藤原定家とのそれっぽいエピソードがあるのです。

彼の名前については一般的に「ていか」でも「さだいえ」でも通じるようですので、お好きなほうでお読みください。

誰が言い出したのかよくわかりませんが、このあたりの時代の歌人ではよくあることです。

まあそれはともかく、式子内親王と定家は当時からウワサを立てられるほど親密な関係だったとされています。

皇女のたしなみとして、式子内親王は定家の父・俊成から和歌の教えを受けており、その繋がりで定家ともいつしか親しく話すようになった……と考えてられていることが多いようです。

なぜはっきりしないか?

というと、上記の通り内親王であるからには自由な交際することは本来できないはずですから、異性と親しくなること自体がマズイということになりますよね。

そのためはっきりした記録はなく、この話は推測に留まっています。

定家自身の日記である『明月記』が唯一といってもいい記録で、ここから二人の関係をアレコレ想像する人が増えました。

能の「定家」などもこれを元ネタにしています。

能『定家』舞台写真、櫻間弓川(金太郎)、吉川庄太郎撮影/Wikipediaより引用

能『定家』舞台写真、櫻間弓川(金太郎)、吉川庄太郎撮影/Wikipediaより引用

この演目は15世紀=室町時代にできたものですので、それ以前から二人のことをそういう関係だったと思っている人が多かったということになります。

内親王から定家に歌を送ったことがあるとか、風邪をひいたと聞いて何回もお見舞いに行ったとか、そんな感じのことが多く書かれているので確かにそう取れなくもないですけども、そもそも男女の関係なんて他人が入るものじゃないですから、下世話極まりないですよね。

式子内親王のほうが一回りほど年上なので、個人的には生々しい関係というよりも定家にとって「初恋の人」だったんじゃないかなあと思います。

 

「史実と物語を両方知り、同一視しない」姿勢でいたい

そんなわけで、数多いる皇女の中でも式子内親王は比較的知られた存在になったのでした。

能や小説はお話として楽しむに留め、「アレで表現されていたのが実際の本人だ!!」と思い込まないようにしたいものですね。

高橋お伝や江島など、お芝居やお話の中で不当に貶められた女性はとても多いですが、21世紀にもなって同じことをし続けるのもどうかと思いますし。

とはいっても、多分その手の創作はなくならないんでしょうけどねえ。

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「史実と物語を両方知り、同一視しない」

そんな考え方が当たり前になると良いのですが……。

式子内親王のお墓/Wikipediaより引用

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長月 七紀・記

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【参考】
国史大辞典「式子内親王」
式子内親王/Wikipedia

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