嘉応二年(1170年)3月6日は、源為朝(ためとも)が自害したとされる日です。
名字でわかる通り源氏の一員で、しかも源頼朝・源義経兄弟には叔父に当たる人物です。
それがなぜ1170年という、割と早い段階で自ら命を絶つことになったのか(生年は1139年)。
同時代では圧倒的武力を誇るとされた源為朝の生涯をふりかえってみましょう。
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五人で引く強弓を一人で使いこなした源為朝
源為朝は、頼朝たちの父・源義朝の弟にあたります。
この人はまず、外見的に大きな特徴をもっていました。
なんと身長2mを超す大男だったというのです。
当時の史料は数字を盛る傾向が強く、さすがに2mは誇張でしょうけど、それでも武士の中でも相当大きかったのでしょう。

佐渡重貞勢と戦う為朝(勝川春亭画)/wikipediaより引用
顔立ちは「切れ上がった目の男」だったといいますから、戦場でもまさしく鬼のように恐ろしい形相だったハズです。
しかも、ただ単に身体がデカイだけで名を残したわけではありません。
五人掛かりで弦を張るような強弓を一人で使いこなすほどの豪腕で、左腕が右腕より12cmも長かったとか。
テニスをやっている人は利き腕が長くなるというから、そんなに強い弓ならなおさらでしょうね。
父・為義に疎まれて……13才で勘当だと!?
しかし、この恵まれた体格や膂力は、父である源為義にも脅威に映りました。
源為朝は13歳の時、勘当されて九州に追放されてしまいます。この辺の具体的な記録がないようですが、いったい何をしたんですかね。
追放されておとなしくなるかと思いきや、今度は【鎮西総追捕使】を自称し、九州の豪族に隅から隅までケンカを売って、しかも勝ってしまうという暴れぶり。
経緯はともかく、九州を平定したのはスゴイですよね……。
戦国時代ですと、父に勘当されて九州も含めて全国を転々とした徳川家康の従兄弟・水野勝成が思い出されるでしょうか。
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これだけ聞くととんでもない暴れん坊ですが、その一方で、佐賀県の黒髪山にはこんな伝説があります。
この山には角が七本ある大蛇が潜んでいた。
あるとき為朝がこれを退治。
証拠として、為朝は大蛇の鱗を三枚剥がして牛に運ばせたが、鱗があまりにも大きく重かったため、牛が行き倒れて死んでしまう。
牛を哀れんだ為朝は、牛を手厚く葬ってやり、その場所が現在「牛津」という地名で呼ばれている所だ……。
というものです。
例によって、伝説をすべて鵜呑みにはできませんが、為朝にも優しい面があったということでしょう。
保元の乱では父・為義と共に崇徳上皇方につく
ともかくこの暴れぶりが問題にならないわけがありません。
豪族たちから朝廷に訴えが出て「言いたいことがあるなら出頭しろ^^」(超訳)と命じられてしまいます。源為朝もこれにはおとなしく従いました。
崇徳上皇vs後白河天皇の争いである【保元の乱】のときも、父・為義とともに崇徳上皇方についているので、しばらく上方にいたと思われます。
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一方、長兄である義朝は後白河天皇方につきました。
兄弟で対立するのは源氏のお家芸とツッコミたくなりますが、関ヶ原と同じく、保元の乱は一族の中で敵味方に分かれた人が多かった戦なので、このときばかりは源氏だけともいえません。
為朝は豪腕を生かして守りにつき、軍議でも「九州での経験上、夜襲が最も効果的だと思います」と積極的に意見を奏上しました。
しかし、同じ上皇方のお偉いさんである左大臣・藤原頼長に「夜襲なんて野蛮すぎwww 国を巡る戦いでそんなことできるわけないっしょw 興福寺の僧兵が加勢してくれるって話だから、合流までおとなしく待ってろ」(超訳)と言われてボツになってしまいます。
あの清盛も「どんなバケモノだ!」と震え上がる
すると崇徳上皇と頼長がこもる白河北殿に義朝が夜襲を仕掛けてきました。
公家たちは慌てて源為朝の機嫌を取り、対処してもらうために官位を与えようとしますが、為朝は跳ねつけます。
それでいて実は武働きをちゃんとしていて、ぶっとい矢で敵を射抜いてビビらせています。
天皇方がその矢を持ち帰ると、平清盛は「こんな矢を放てる為朝とはどんなバケモノなのだ」と震え上がったとか。
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後に怖いもの知らずな言動をする清盛も、この頃はそんな可愛げがあったんですね。
その嫡子・平重盛は奮起して戦いを望んだのですが、清盛が必死に止めたのだとか。
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他の人は為朝に挑んで見事返り討ちに遭っているので、清盛の判断は正しかったといえます。
為朝は、自分の元部下で義朝についた鎌田政清も、容赦なく斬り込みをかけて追い返しました。
すると……。
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