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【鎌倉武士の衣食住・武芸・刀剣甲冑】
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衣
平安末期・平氏政権の時代から、貴族の服装を元にして武家風の衣服が作られていました。
基本的には狩衣などでして。
武家では生地に強く糊付けをして直線的なラインを出す方法が好まれるようになります。
その方が男らしくなりそうですし、そもそも武具を扱うときに袖や裾がはためいてしまうと、邪魔になるから……ですかね?
強く糊付けをした衣服は鎌倉武士にも好まれ、より頑丈になっていきました。
あまりにも固い仕上がりになったためか、一人で着替えをするのも手間になるほどだったそうです。本末転倒なんじゃ……(´・ω・`)
こういった糊付けの強い衣服を「強装束(こわしょうぞく)」といいます。
受験にはここまでは出ないでしょうけれど、豆知識として覚えておくと面白いかもしれません。
狩衣も引き続き用いられましたが、やはり貴族と比べて圧倒的に運動量の多い武士ですから、時代が下るにつれてさまざまな工夫が施されました。
中には、現代の着物に通じるものもあります。
水干(すいかん)
狩衣に似たもので、下級役人や庶民、下層武士がよく着ていました。
元服前の男子の礼装や、源義経の愛妾・静御前など、白拍子が着ていたことでも有名ですね。
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水干は時代が下るにつれて上級武士にも使われるようになり、補強のための組紐や装飾が施されるようになります。
直垂(ひたたれ)
元は袖のないベスト状の服に袖を付けただけのものでした。
が、そのままでは胸元がはだけやすいため、胸紐がつけられるようになります。
現代では、大相撲の行司さんや雅楽の奏者、神社の祭礼などで用いられていますね。
また、鎧を着るとき向けの「鎧直垂」というものもありました。
普通の直垂よりも幅が細めに作られていて、鎧をつけたときにごわつかないようになっています。
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