僧兵

興福寺の僧兵/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

源平時代に最盛期を迎えた 戦う坊主「僧兵」なぜ仏に仕える者が武装している?

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
僧兵
をクリックお願いします。

 


変わりゆく僧兵

時代は中世、荘園制度が崩れて、各地で民衆が力を持ち、その中から国衆と呼ばれる在地武士団が台頭し始めました。

こうした動きと反比例するように僧兵は衰退します。

なぜか?

南北朝末期となると、強訴に代わり、民衆による一揆が起こるようにもなりました。

一向宗による一向一揆と、僧兵による強訴は似ているようで異なります。

強訴:寺社勢力の権威と宗教性を背景に、自集団の権威を守るべく武装し訴える

一向一揆:宗教の教えのもとに集い、民衆の生活向上(徳政や年貢減免)を目的として武装し訴える

権威を守るためではなく、そもそも民の暮らしを守ることが仏法ではなかったか? そんな意識の変化があり、僧兵はむしろ権威とみなされるようになったのです。

寺社の勢力下にあった武装集団から大名となった、大和国・筒井氏(筒井順慶など)のような例もあります。

権威とみなされたからには、時代の改革を掲げる下剋上サイドからすれば、腐敗の温床にも映りました。

一向一揆
戦国大名を苦しめた「一向一揆」10の事例~原因となったのは宗教か権力者か

続きを見る

 


僧兵の終焉へ

戦国時代も末期へ向かうころ、織田信長が台頭しました。

信長は領土を広げる過程で、近江と美濃にあった延暦寺領を没収。

延暦寺は、信長と敵対する大名の浅井・朝倉と手を組み、対抗に出ました。

織田信長
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る

続きを見る

もはや僧兵集団は、信長にとっては討つべき敵でしかありません。

織田軍に敗れた勢力の残党が比叡山に逃げ込む事態も起こりました。

かくして元亀2年(1571年)、比叡山は信長の命を受けた明智光秀により焼かれたのでした。

比叡山焼き討ち
信長の比叡山焼き討ち事件~数千人もの老若男女を虐殺大炎上させたのは盛り過ぎ?

続きを見る

比叡山延暦寺
信長の前に足利も細川も攻め込んだ~比叡山延暦寺の理想とガチバトル

続きを見る

光秀ら家臣が諌めても、信長は止めません。

もはやただの宗教を笠にきた腐敗した権威ではないか!

信長の目から見ればそうなり、比叡山のみならず、石山本願寺の一向宗にも厳しい態度で臨みました。

ここで強調したいのは、信長の残虐性ではありません。

権力争いの中に、僧兵を擁した寺社も参加したからには、避けようがなかったという時代の流れです。

信長が本能寺の変で斃れたあと、その権力は豊臣秀吉が受け継ぎました。

秀吉の天下統一の過程において、天正13年(1585年)、根来寺が殲滅され、日本史から僧兵勢力は消え去りました。

秀吉のあと、天下人となった徳川家康の横には、僧侶である崇伝や天海が侍りました。

金地院崇伝(以心崇伝)
家康の側近だった黒い僧侶たち~金地院崇伝vs南光坊天海の勝者は?

続きを見る

しかし彼らが提供するものはあくまで学識であり、武力ではありません。

かくして僧兵の歴史は江戸時代には終わったのです。

そして武装した僧侶を指す「僧兵」という呼び方も、江戸時代に生まれたのでした。

 


ミステリアスで実に日本らしい集団

殺生を禁じることが仏の教えなのに、なぜ僧侶が武装し、一大勢力となったのか?

僧兵は自衛手段として発生し、力を持ち、歴史を動かすようになりました。

聖職者が武装集団となった例はなかなか珍しく、日本史ならではの集団といえます。

戦国時代の大寺院
興福寺・延暦寺・本願寺はなぜ武力を有していた? 中世における大寺院の存在感

続きを見る

中国には功夫を使いこなすことで名高い少林寺があります。

あれも隋末の乱世に武装したことが起源とされています。

といっても特殊だからこそ名高いのであり、中国各地に武装集団がいる寺があったわけではありません。

なかなかミステリアスで実に日本らしい集団、それが僧兵です。

その代表例である武蔵坊弁慶は国民的な人気人物となりました。

現代にも僧兵をモチーフとしたキャラクターとして、『鬼滅の刃』の岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)がいます。

悲鳴嶼行冥(鬼滅の刃・岩柱)
『鬼滅の刃』悲鳴嶼行冥を徹底分析!その像は古典的ヒーローを踏襲している

続きを見る

新しいようで、実は、フィクションでおなじみの存在だったんですね。

僧兵には、個性的な脇役キャラとして、今後も歴史作品を盛り上げ続けて欲しいものです。


あわせて読みたい関連記事

弁慶
武蔵坊弁慶は史実の記録がほぼゼロなのになぜ有名?実際何をした人物なのか

続きを見る

遊び方もハンパじゃない後白河法皇~血を吐くほど今様を愛し金銀でボケる

続きを見る

南都焼討と平重衡
南都焼討を実行した平重衡~なぜ清盛は東大寺や興福寺を潰した?

続きを見る

コメントはFacebookへ

一向一揆
戦国大名を苦しめた「一向一揆」10の事例~原因となったのは宗教か権力者か

続きを見る

織田信長
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る

続きを見る

比叡山焼き討ち
信長の比叡山焼き討ち事件~数千人もの老若男女を虐殺大炎上させたのは盛り過ぎ?

続きを見る

文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
渡辺守順『僧兵盛衰記』(→amazon
五味文彦『殺生と信仰――武士を探る』(→amazon

TOPページへ


 



-源平・鎌倉・室町
-

×