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【武蔵坊弁慶】
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忠臣としての「勧進帳」「立ち往生」
弁慶は勇猛さが特徴の僧侶です。
『鎌倉殿の13人』に登場する僧侶と言えば、ほかに文覚や阿野全成がいて、彼らは頭脳を駆使するタイプ。
一方、弁慶は“武”に恵まれているようでありながら、源平合戦ではあまり目立つ機会がない。
将というより“義経の側近”であるため、軍勢を指揮するような局面に恵まれないのです。
戦場を華麗に駆け回る義経の隣にずっといる、それが弁慶。
ですので、兄・頼朝から義経が逃れる場面となると、弁慶の姿がクローズアップされます。
落ち延びる義経一行は、加賀国安宅関(あたかのせき)で冨樫某という人物にとどめられました。
ここで弁慶は、偽りの勧進帳を読み上げ、義経を打ち据えるのです。
冨樫某はうすうす勘づいたものの、その忠臣ぶりを思って見逃した。
文治5年閏4月30日(1189年6月15日)。
【奥州合戦】の果てに、義経は衣川へ追い詰められます。
弁慶、最期の奉公は、主君の死を華々しく彩ること。
敵の返り血で身体を真っ赤に染め、味方全員が討ち果たされるまでを見届け、義経の前に現れます。
そして先に冥土へ参ることを告げ、法華経を唱えます。
弁慶は義経が自刃する時間を稼ぎ、全身に矢を受け、敵を睨みつけ、立ったまま息絶えました。
そして義経は妻子を殺して自害。
享年31。
この弁慶の最期は「(弁慶の)立ち往生」とされ「進退極まってどうにもならない」という意味で定着しました。大河でも名場面の定番です。
なぜ人気は絶大なのか
弁慶は、源義経に付き従う姿が大衆の心をくすぐり、彼もまた英雄化されてゆきました。
実際に何をしたのか?
そう問われれば、確たる功績や記録は無く、『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時とは比べものにならないほど、実像不明な人物です。
それでも多くの大衆に愛され、知名度だって抜群に高い。
なぜここまで支持されているのか?と考えると、その人物像が「日本人の理想を反映されていったから」ではないでしょうか。
・忠義
・誠実
・勇猛
このように皆の心情に突き刺さる美徳が揃っていて、義経にとっても理想的です。
弁慶が法華経を唱えてくれるから、安心して最期を迎えることができる。
立ち往生までして時間を稼いだからこそ、討ち果たされずに自刃できた。
それでいてドラマに登場させるときには自由に描くことができる。
今年はどんな「立ち往生」でお茶の間を湧かせてくれるのか。義経とセットで楽しみな存在ですね。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
五味文彦『源義経』(→amazon)
高橋富雄『義経伝説 歴史の虚実』(→amazon)
福田豊彦/関幸彦『源平合戦事典』(→amazon)
他