平家を倒した後、文治5年(1189年)閏4月30日に亡くなった源義経。
戦場では、後世まで燦然と輝く活躍をしながら結局は兄・源頼朝に追われ、落ち延びた奥州で壮絶な最期を迎えます。
今となっては、その悲劇的な人生に心を奪われる者が多く、頼朝を冷淡な人間として見る向きが多数派となっておりますね。
こうした心情を「判官びいき(ほうがんびいき)」と呼び、本来は源義経に対する同情の念などを示すものでした。
では一体「判官贔屓」の「判官」とは何なのか?
そもそも義経はなぜ、兄に討たれたのか?
冷静に歴史を振り返ってみると、実は、義経に大きな責任があったと言わざるをえない事情が見えてきます。
順を追って見て参りましょう。
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そもそも「判官(ほうがん)」とは?
判官とは、検非違使の四等官である【尉(じょう)】のこと。
検非違使とは今の裁判官と警察官とを兼ね備えた権限を持つ役職です。
古代国家の「役所」には、それぞれ4段階の官職が置かれました。
ややこしいのですが、ちょっと大切なところで説明させていただきます。
役所にはそれぞれ上から順に4つの役職があり、
①長官(かみ)
②次官(すけ)
③判官(じょう)
④主典(さかん)
と呼ばれました。
右側の(かみ)とか(すけ)が漢字の読み方になります。
なんだか違和感ある読み方でモヤモヤするのですが、そういうもんだと思うしかありません。
そして、またややこしいことに、役所によって使う漢字がことなっているのです。
①長官(かみ)→「守・卿・大夫」
②次官(すけ)→「介・輔」
③判官(じょう)→「丞・掾」
④主典(さかん)→「目・録」
一番わかりやすい官職が【国司】ですね。
高校の日本史であれば習うと思うのですが、国司の場合はこうです。
①守(かみ)
②介(すけ)
③掾(じょう)
④目(さかん)
大河ドラマ『麒麟がくる』の主役・明智光秀は「日向守」という官職名を与えられることで知られます。
それを解読すると「日向国(宮崎県)」の「守(国司)」となるんですね。戦国時代には、実際に日向の国司となるわけではなく、朝廷からステータスとして与えられたり、武将たちが勝手に自称しておりました。
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なんとなくアタマに入ってきたでしょうか?
それぞれの官職にある役職が4段階になっていて、色んな漢字が当てられる。
けど、読みは全部同じ、ということですね。
例えば検非違使の場合は、
①別当(かみ)
②佐(すけ)
③尉(じょう)
④志(さかん)
となります。
この検非違使の【左衛門少尉】に義経が就いたことから、【判官=義経】となり、義経の通称として用いられるようになりました。
検非違使の尉というのがどれくらい偉いかというと「五位」です。
陸奥国の長官・守(かみ)など地方のトップになれる水準です。武士にとっては十分に高い地位と言っていいでしょう。
「判官びいき」は平家物語にはない
強者としての兄・頼朝に滅ぼされた薄幸の英雄義経。「判官」とは、彼に賞賛と同情を寄せた心情を表す言葉として定着したものです。
ただ、意外にも「平家物語」では義経は判官びいきされていません。
平家滅亡の絶頂のところで義経の記載が終わっているからです。
義経といえば、天才的な戦術家であり、数々の戦いに勝利して、わずか5年間ほどで、平家を滅亡させた立役者です。
義経奇跡の三連勝!
① 一の谷の戦いに勝利! 〈1184年2月〉
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② 屋島の戦いに勝利! 〈1185年2月〉
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③ 壇ノ浦の戦いに勝利! 〈1185年3月〉
→義経の八艘飛び
決戦 壇ノ浦の戦い!源氏vs平家の最終戦はどんな戦いでいかなる結末を迎えた?
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これだけの輝かしい戦歴・戦果を上げた義経に、頼朝からのねぎらいや恩恵は全くありませんでした。
それどころか、呼ばれたのに鎌倉入りを許されることなく(対面すらできず)、京へ引き返すことになったのです。しかし……。
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