平家を倒した後、1189年6月15日(文治5年閏4月30日)に亡くなった源義経。
戦場では、後世まで燦然と輝く活躍をしながら、結局は兄・源頼朝に追われ、落ち延びた奥州で壮絶な最期を迎えます。
今となっては、その悲劇的な人生に心を奪われる者が多く、頼朝を冷淡な人間として見る向きが多数派となっておりますね。
こうした心情を「判官びいき(ほうがんびいき)」と呼び、本来は源義経に対する同情の念などを示すものでした。
では一体「判官贔屓」の「判官」とは何なのか?
そもそも義経はなぜ、兄に討たれたのか?
冷静に歴史を辿ってみると、実は、義経に大きな責任があったと言わざるをえない事情が見えてきます。
順を追って振り返りましょう。

源義経/wikipediaより引用
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そもそも「判官(ほうがん)」とは?
判官とは、検非違使(けびいし)の四等官である【尉(じょう)】のこと。
検非違使とは今の裁判官と警察官とを兼ね備えた権限を持つ役職であり、大河ドラマ『光る君へ』でも直秀を死に追いやった役人として注目されていましたね。
古代国家の「役所」には、4段階の官職が置かれました。
ややこしいのですが、ちょっと大切なところなので説明させていただきます。
役所にはそれぞれ上から順に4つの役職があり、
①長官(かみ)
②次官(すけ)
③判官(じょう)
④主典(さかん)
と呼ばれました。
右側の(かみ)とか(すけ)などが読み方になります。
漢字と照合すると、どうにも違和感のある読み方でモヤモヤしますが、これはもう受け入れるしかありません。

画像はイメージです(えさし 藤原の郷)
ややこしいのは、漢字の読み方だけではありません。
そもそも役所によって使う漢字が異なってきます。
①長官(かみ)→「守・卿・大夫」
②次官(すけ)→「介・輔」
③判官(じょう)→「丞・掾」
④主典(さかん)→「目・録」
一番わかりやすい官職が【国司】ですね。
国司の場合はこうです。
①守(かみ)
②介(すけ)
③掾(じょう)
④目(さかん)
大河ドラマ『麒麟がくる』の主役・明智光秀は「日向守」という官職名で知られます。

『麒麟がくる』明智光秀イメージ(絵・小久ヒロ)
それを解読すると「日向国(宮崎県)」の「守(国司)」となるんですね。
戦国時代には、実際に日向の国司となるわけではなく、朝廷からステータスとして与えられたり、武将たちが勝手に自称しておりました。
なんとなくアタマに入ってきたでしょうか?
それぞれの官職にある役職が4段階になっていて、色んな漢字が当てられる。
けど、読みは全部同じ、ということですね。
例えば検非違使の場合は、
①別当(かみ)
②佐(すけ)
③尉(じょう)
④志(さかん)
となります。
この検非違使の【左衛門少尉】に義経が就いたことから、【判官=義経】となり、義経の通称として用いられるようになりました。
検非違使の尉というのがどれくらい偉いかというと「五位」です。
陸奥国の長官・守(かみ)など地方のトップになれる水準ですから、武士にとっては十分に高い地位と言っていいでしょう。
「判官びいき」は平家物語にはない
強者である兄の源頼朝に滅ぼされた薄幸の英雄・源義経――「判官」とは、そんな彼に賞賛と同情を寄せた心情を表す言葉として定着したものです。
ただ、意外にも『平家物語』では義経は判官びいきされていません。
平家滅亡の絶頂のところで義経の記載が終わっているのです。
義経といえば、天才的な戦術家であり、数々の戦いに勝利して、わずか5年間ほどで、平家を滅亡させた立役者です。
義経奇跡の三連勝!
これだけの輝かしい戦果を上げた義経に対し、頼朝からのねぎらいや恩恵は全くなかったとされます。
それどころか、呼ばれたのに鎌倉入りを許されることなく(対面すらできず)、京へ引き返すことになったのです。しかし……。
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