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【鎌倉武士が愛した陶磁器】
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贅沢になった武士は日宋貿易を目指す
陶磁器の出現は、武士の変容を示すものでもあります。
『平家物語』では、平家を打ち破った坂東武者がいかに戦うことに特化しているか、恐怖心を込めて語られました。
そんな坂東武者たちも、次第に戦うだけではなくなり、文化への意識も向上。
しかし個人差もあり、それは出土品でわかります。
例えば北条時政の邸宅跡からは、坂東風のろくろ成形ではなく、京都風の手で成形したの手捏(づく)ねの土器が出てきます。
京都や平泉ではよく見られる酒宴用の土器であり、坂東ではあまり見られません。
当然のことながら、唐物の磁器も出て来ます。
なんとしても京風の文化を身につけたいと考えていたことがわかる――時政は美意識の高い人物でした。
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時代がくだると、そうした高級志向が当たり前となってゆきます。
武具のみならず、調度品にもお金をかけたくなっていく。
そうなると、もう、唐物磁器がないなんて信じられない! 恥ずかしい!……そうなってもおかしくありません。
「宴をするってのに、陶器の器ひとつもないなんてダサすぎるぞ」
「こんな素敵な陶器の鉢を持っていたら、センスがいいって思われちゃうな」
そんな思いが頭をよぎるようになってもおかしくない。鎌倉から磁器が大量に出土するのはだからこそなのでしょう。
そうした状況を踏まえますと、源実朝が唐船(日宋貿易用の船)を建造したことは、ただの夢物語ではないとわかります。
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需要があればこそ、供給を満たす。
残念ながら実朝が失敗した日宋貿易は、その後、北条泰時が受け継ぎます。
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鎌倉幕府の有力御家人の遺したものには、武具や仏像だけではなく、美しい磁器がある。
それは彼らのセンスの現れなのです。
茶は庶民が飲むべきか?セレブ趣味か?
鎌倉では例外的に一般庶民の家からも陶器が出土することはあります。
ただし、そこまで多くはありません。
御家人たちが陶器を愛でてセンス自慢をしていたころ、庶民の食器は木製や漆器が大半を占めていました。陶器はあくまで高級品です。
そしてその高級品である陶器を求める日本人の需要が、さまざまな文化を花開かせます。
茶道は唐の陸羽から始まったことは前述した通り。徐々に贅沢な趣味へと変貌を遂げ、茶道具にプレミアをつける商人もいましたし、元朝時代となればモンゴルの影響も受けました。
変貌してゆく茶に、明を建国した朱元璋は憤りを覚えます。
そう命じたため、中国における茶は、庶民がいつでも飲めるものとして、安価で簡単であることが理想とされました。茶葉によるランクづけが行われるものの、安価なものは庶民でも手に届きました。
一方、日本は違います。
鎌倉時代初期に茶を広めた栄西は、あくまで実用的であることを望みましたが、時代が降ると、セレブリティの趣味として高めるべく、様々な工夫が凝らされていったのです。
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顕著なのが戦国時代でしょう。千利休によって大成した茶道は、いくつかのルールが決められ、庶民には無縁のセレブ趣味が形成されます。
茶道具にもどんどんプレミアがつく。
そしてここに陶磁器をめぐる不思議な現象が起きるのです。
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