まんが日本史ブギウギ

まんが日本史ブギウギ7話 672年の覚え方は「ロクな人間じゃない」って……

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    天智天皇の崩御を間近に感じた弟・大海人皇子は「出家」と称して吉野へ逃避行。
    そのころ中央では、天智天皇の息子・大友皇子を中心とした体制で政治は進み、672年に天智天皇が崩御すると、そのまま同年、弘文天皇として即位を果たす。
    にわかに動き始める近江と吉野。
    いよいよ大海人皇子は立ち上がった――。
    第7話、スタート!!!

    意外かもしれませんが、天智天皇は近江へ都を移しており、そのまま近江で亡くなりました。大友皇子もこの地で即位。
    対する大海人皇子は近江の南にある吉野へ逃げていたワケですが、挙兵を果たすと周辺(伊賀や伊勢、美濃)など地方豪族の協力を取り付けることに成功しました。
    地図で言うと、琵琶湖(近江)の南東(右下)から北へと上がり、現代で言うところの三重県→愛知県→岐阜県というルートで進んだんですね。
    岐阜(美濃)まで来れば、近江は目と鼻の先。ビビる大友皇子(弘文天皇)軍は、当初から浮足立っており……。

     

    勢いを増す大海人皇子に対し、大友皇子も動きます。
    東国や九州に援軍を要請したのですが、思うようには集められずジワジワと追い詰められていきます。

     

    大海人皇子が挙兵したのが6月24日。
    それから約1ヶ月かけて北上を続け、ついに天王山となったのが「瀬田の唐橋」です。
    滋賀県大津市を南北に流れる瀬田川。
    その上にかかるこの橋は「日本三大橋」に数えられるほどで、現在でも全長260mの長さがあるほどの規模です。
    そこにやってきたのが、西からは大友皇子軍で、東からの大海人皇子軍。
    両者の戦闘は、壬申の乱でも最も激しいものとなり、勝ったのは大海人皇子でした。

     

    歴史の授業では「大友皇子に対し挙兵した大海人皇子は天武天皇として即位する。年号は672年。それが壬申の乱です」とそっけないもんです。
    が、両軍共に命を賭けているワケですから、そこには様々なドラマがあったわけで。
    特に、大海人皇子のもとでは美濃の豪族・村国男依(むらくに の おより)という人物が大活躍し、連戦連勝となりました。
    しかし後に彼は、朝廷での要職には就けておりません。あくまで地方豪族の扱いだったんですね。
    いずれにせよ、大友皇子は亡くなり、天武の治が始まるのでありました。

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    著者:アニィたかはし

    武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
    従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)

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    アニィたかはし

    2014年から歴史系の漫画家として活動。
    2015年にはコミック版『戦国ブギウギ』を全国の書店へ向けて発売。
    武将ジャパンでは、従来の歴史マンガには無かった独特のポップ感で『ブギウギシリーズ』を展開している。
    現在は『大河ブギウギ』シリーズを連載中。
    ◆主な著書
    『織田信長の戦国ブギウギ』鉄人社・2015年・ISBN-13 : ‎978-4865370324

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