うさぎの日

鳥獣戯画/国立国会図書館蔵

寺社・宗教

3月3日は「うさぎの日」神様の使いとされがちな伝承に注目してみる

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献身

日本では「うさぎ=月」を連想することも多いですよね。

これは仏教の説話集「ジャータカ」の中の話が、日本に伝わって変化したことから来ているとされています。

少々昔話風にいきましょうか。

むかしむかしあるところに、猿と狐とうさぎが暮らしておりました。

三匹はある時、山の中で倒れているおじいさんを見つけました。

「おじいさんを助けてあげよう」と考えた三匹は、食べ物を持ってきてあげることにしました。

猿は木に登って木の実を持ってきました。狐は川で魚を捕りました。

けれどもうさぎは、頑張っても頑張っても、食べ物を持ってくることができません。(草食動物だから当たり前ですね)

悲しんだうさぎは、猿と狐に頼んで、たき火を用意してもらいました。

そして自ら火の中に身を投げ、その肉を食べてもらおうとしたのです。

そうするとおじいさんは起き上がり、何やらエラそうな感じの姿になりました。

なんと、おじいさんは「帝釈天」という仏様だったのです。

うさぎの我が身を省みぬ慈悲に、帝釈天は報いてやろうと考えました。

そこでうさぎの姿を月へ刻み、後世の人々がうさぎのことを忘れないようにしたのです。

月のうさぎの周りに煙がかかっているのは、うさぎが飛び込んだときの煙だとか。

いい人(うさぎ)が死んでるあたり、「めでたしめでたし」と言えないオチではありますが……まあ、物語ですから。

そもそも帝釈天が火に飛び込む前に「お前の気持ちはわかったからやめろ」と言えば良かったんじゃないかと思うのですけれども、言うだけ野暮ですね。

でも……旧約聖書の神様ですら、(神様の命令で)アブラハムが息子のイサクをいけにえにしようとしたとき、「お前の信仰心はわかったから、息子を捧げるのはやめなさい」と言っていることを考えると、比較したくもなります。

「玉虫の厨子」に描かれている釈迦の前世の姿でも、飢えた虎の親子に身投げをしているくらいですから、仏教の隠れた残酷さというかなんというか。

繁殖力の強さも、それだけ母体が酷使されるという意味では献身かもしれませんね。

現代の人間でも出産時の大量出血や、その後の経過で命が危うくなることはままあるのですから、野生動物となれば言わずもがなのことです。

 

・食材として

上記のように神聖視される生き物でもあったうさぎですが、もちろん信仰心の強い人ばかりではありません。

爪も牙も持たないうさぎは、最も狩猟に向いている動物とも考えられました。イスラム圏では「うさぎは不浄な動物である」としているので食べませんが、その他の地域では広く食べられています。

日本で肉食が禁じられていた時代も、うさぎや鹿、鶴などの「狩猟で得る動物・鳥」については食べていいことになっていたので、同様に広く食されていました。

戦中までは一般人もうさぎを飼い、食肉として利用することは珍しくなかったようです。

唱歌「故郷」にも「うさぎ追いし、かの山」と出てきますよね。別にうさぎとキャッキャウフフを楽しんでいたわけではなく、追い込んで(中略)美味しくいただくという目的があるわけです。

それがなぜか、戦後は愛玩動物としての位置づけでほぼ固定されています。

明治時代辺りから愛玩動物として飼う人もいましたが、同時に「いつか〆て食べるもの」という認識が強かったようですので、戦後にいきなり変化したわけです。

鳥獣戯画/国立国会図書館蔵

戦後日本に大きく影響を及ぼしたものといえばGHQ。

しかし、GHQの施策の中で、「うさぎを食べるな」というようなものは見あたりません。そもそもヨーロッパや北米でもうさぎを食べますし。

一時期までは、うさぎの肉が市販のソーセージなどに使われていたそうですが、今ではほとんど見なくなりました。

これは、うさぎや家禽を使ったソーセージは、日本農林規格(JAS)でのランクが落ちるからという理由もありそうです。

もしも今「うさぎを食べよう」なんて大々的に言い出したら、そこかしこからクレームが殺到するでしょうね。

よほどの食糧危機に陥ったら、「繁殖が容易な動物」として推奨されるかもしれません。そうならないことを祈るばかりです。

長月 七紀・記

【参考】
国立国会図書館
ウサギ/wikipedia
月の兎/wikipedia

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