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【平安神宮】
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「祭神にするとはけしからん!」と放火した者こそけしからん
そして場所が決まってから、平安京遷都を行った桓武天皇を祭神とし、平安神宮はスタートしました。
昭和十五年(1940年)には平安京に常在していた最後の天皇である孝明天皇も祭神となっています。
※以下は桓武天皇と孝明天皇の関連記事となります
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昭和十五年が皇紀(神武天皇が即位した年を基準とする紀年法)で2600年目にあたるとされたからです。
この件について「神武天皇の実在は疑われている」というツッコミはするだけ野暮なのでやめましょうね。似たような例は他にもたくさんありますし。
しかし、いつの時代も美しいものには嫉妬が集まるもので……。
昭和五十一年(1976年)に放火事件が
昭和五十一年(1976年)には「桓武天皇は都の造営などで民を苦しめたのに、祭神にするとはけしからん!!」と考えたとある人物によって、放火されたことがあります。
なぜ1100年も昔の人、しかも支配者を後世の一個人が断罪できると思うのかが謎。
日本では思想の自由が認められていますけれども、物的被害を出せば話は別です。
当時は自動火災報知機の設置義務がなかったこと、犯行が午前3時35分という未明であったことなどから発見が遅れ、平安神宮の大部分が焼けてしまいました。
しかも、焼けてしまった建物は当時文化財指定をされていなかったため、再建するにも国から補助金が出ず、一般からの募金でまかなったそうです。
国を代表するような文化財については、国がまかなってくれたらいいんですけど……我々一般市民は美しい物を愛でながら、世の平安と一家息災を祈りましょう。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
平安神宮公式サイト(→link)
平安神宮/wikipedia