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外戚と宦官 後漢を食い潰したシロアリ
後漢についていえば、宦官と並んで王朝を蝕んだ権力があります。
「外戚」です。皇帝母の一族を指します。
前述の通り、後漢は幼い皇帝が続きました。
権力者が若すぎる場合、年長者である母親が摂政として権力を握ることがあります。フランス王・ルイ13世の治世初期等がこのパターンですね。
東アジアでは、こうした政治形態を「垂簾聴政」(すいれんちょうせい・御簾の奥にいる女性が政治について聞いている様子)と呼びます。
清の西太后もこれに該当します。
もちろんこうした女性の中には、優れた政治見識の持ち主もおります。
女性が政治を行ったから必ずしも悪いわけではありません。
ただ、腐敗を招く一面もあるわけです。
皇后がまっとうな人物でなく、かつ親戚にろくでもない者がいると、外戚の専横が始まってしまいます。
最悪の外戚は梁冀
後漢で最悪の外戚だったのが梁冀(りょうき)です。
彼は、妹が順帝の皇后となると、おれの時代だぜ!とばかりに調子に乗り始めました。
あまりにオラつき、思うがままに専制をふるうその様子は、皇帝までも意のままに操りました。
順帝が崩御すると、沖帝、質帝という幼い皇帝を、自ら即位させております。
当時8才であった質帝は気骨があったのでしょう。梁冀の専横に幼いながらも反発します。
あるとき
「ふん、また跋扈将軍が来たのう」
とディスったところ、相手に聞かれてしまい、質帝はその後、突然の崩御を遂げるのです。
そして梁冀は、15才の桓帝を即位させ、妹を皇后にしたのでした。
この皇后も嫉妬深く、桓帝の他の妃が妊娠すると、殺害するという悪逆ぶりを発揮しております。
しかし、順帝と桓帝の皇后であった妹二人が亡くなると、やっと彼の権勢に翳りが見え始めます。
青年になりつつあった桓帝は、打倒梁冀の計画を立て始めました。
このとき、厠でそっと計画を打ち明けた相手が、宦官なのです。
宦官は、官僚と違って皇帝のプライベートスペースにいてもまったく問題がありません。
彼らの陰謀がはびこる理由の一つですね。
そして桓帝は、側近の宦官たちとはかり、梁冀一族の排除に成功します。
毒をもって毒を制する
このあたりに、後漢の末期的症状が見て取れます。
外戚という腐敗しやすい権力を排除するために、もうひとつの腐敗権力である宦官を頼るというのは、結局、毒をもって毒を制するだけの話でして。
宦官が台頭すると、外戚が巻き返そうとする。
外戚が権勢を握ると、宦官が捲土重来を図る。
まっとうな官僚は、この醜い争いを、外野から見ているほかないのです。
かくして184年に「黄巾の乱」が始まる前、後漢の政治はグズグズに崩れきってしまいました。
そしてこの外戚と宦官の争いは、三国志序盤でも繰り返されます。
霊帝の皇后である何氏の兄である何進は、三国志ファンならばおなじみでしょう。
外戚である何進、宦官である十常侍。
黄巾の乱を待つまでもなく、彼らは王朝を内部から食い荒らしていました。
その死に体の王朝に、董卓が食らいつき、曹操ら英雄が立ち上がるのです。
袁紹にせよ、曹操にせよ、三国志前半に出てくる政治家たちは、政治の腐敗に憤り、時に武力や陰謀でその打倒をはかります。
彼らがそうした強引な手段に頼らざるをえなかったのは、後漢の政治が宦官と外戚により、腐敗しきっていたからなのでした。
その腐敗した王朝にとどめが刺されると、英雄たちは中国大陸を三分割して戦うことになります。
スリリングな英雄の時代。
それは破滅的な人口減が始まった時代でもありました。
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文:小檜山青
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【参考文献】
三田村泰助『宦官』(→amazon)
寺尾善雄『宦官物語』(→amazon)
顧蓉・葛金芳『宦官』(→amazon)
井波律子『酒池肉林』(→amazon)